中世哲学研究29
中世(ル=ゴフ的には長い中世)の修道制は、あまりにも巨大なテーマであり、ここで取り上げうるものは、そのほんの一端に過ぎない。しかも、多くは二次的文献や翻訳である。また中世の修道制は(そもそも修道制は)、神秘主義、神秘体験と重なり合っており、それは哲学思想とも関連することになる。
今回紹介するのは、中世から近世への移行期、宗教改革と対抗宗教改革に時代を生きたアビラのテレサであるが、テレサは、人々の霊益のために祈りについての本を書いて欲しいとのグラシアン師の要請に対して、はじめは、この要請に対して、次のような理由で断った(以下紹介の文献の冒頭に掲載の、監修者・鈴木宣明による紹介文、による)。
「何故、私が書かねばならないか。それは神学者たちの務めである。彼らはこれらにことについて研究している。また、これらの諸テーマについて取り扱っている、多くの本がある。私はまったくふさわしくない。」
修道制の中での瞑想・思索は、それ自体がそのまま哲学や神学となるわけではない。しかし、両者の関係は決定的に重要である。テレサは、最終的には、トレド大司教座教会主任司祭ベラスケスがグラシアンの要請を支持したので、祈りについての本の執筆を引き受けた。それが、今回紹介する文献であり、恩恵の状態にある人間の霊魂を栄光の城のイメージにもとづいている。この霊魂の城には7つの住いが存在し、栄光の主が住う第七の住いをほかの六つの住いが包んでいる。
アビラのテレサ
『霊魂の城──神の住い』
聖母文庫、1992年。
「アビラの聖女テレサの『霊魂の城──神の住い』に寄せて 「例に生きる人々の母」─アビラの聖女テレサ」
(鈴木宣明)
第一の住い
第二の住い
第三の住い
第四の住い
第五の住い
第六の住い
第七の住い
むすび
『霊魂の城──神の住い』における聖女テレサの中心的な幾つかの言葉
聖女テレサの生涯
聖女テレサの刷新修道院創立
訳者あとがき (高橋テレサ)
なお、霊魂の城と祈りとの関係は、次のように述べられている。
「私が理解しうる限りにおいては、この城に入るための門は祈りと黙想です。」(39)
今回紹介するのは、中世から近世への移行期、宗教改革と対抗宗教改革に時代を生きたアビラのテレサであるが、テレサは、人々の霊益のために祈りについての本を書いて欲しいとのグラシアン師の要請に対して、はじめは、この要請に対して、次のような理由で断った(以下紹介の文献の冒頭に掲載の、監修者・鈴木宣明による紹介文、による)。
「何故、私が書かねばならないか。それは神学者たちの務めである。彼らはこれらにことについて研究している。また、これらの諸テーマについて取り扱っている、多くの本がある。私はまったくふさわしくない。」
修道制の中での瞑想・思索は、それ自体がそのまま哲学や神学となるわけではない。しかし、両者の関係は決定的に重要である。テレサは、最終的には、トレド大司教座教会主任司祭ベラスケスがグラシアンの要請を支持したので、祈りについての本の執筆を引き受けた。それが、今回紹介する文献であり、恩恵の状態にある人間の霊魂を栄光の城のイメージにもとづいている。この霊魂の城には7つの住いが存在し、栄光の主が住う第七の住いをほかの六つの住いが包んでいる。
アビラのテレサ
『霊魂の城──神の住い』
聖母文庫、1992年。
「アビラの聖女テレサの『霊魂の城──神の住い』に寄せて 「例に生きる人々の母」─アビラの聖女テレサ」
(鈴木宣明)
第一の住い
第二の住い
第三の住い
第四の住い
第五の住い
第六の住い
第七の住い
むすび
『霊魂の城──神の住い』における聖女テレサの中心的な幾つかの言葉
聖女テレサの生涯
聖女テレサの刷新修道院創立
訳者あとがき (高橋テレサ)
なお、霊魂の城と祈りとの関係は、次のように述べられている。
「私が理解しうる限りにおいては、この城に入るための門は祈りと黙想です。」(39)
スポンサーサイト