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『図書』から

 『図書』2019.9(岩波書店)が届きました。
 宗教・キリスト教関係(「思想」という仕方でやや広めに考えても。『図書』でもあり、基本は文学)でのエッセイがあまり見あたらないため、最近は紹介せずにきたが、今回は久しぶりに取り上げたい。
 赤坂憲雄(「深い海の底から」)や山室信一(「モダンの波頭を切る」)は、なかなか興味深い内容であり、また、伊東光晴の「私にとっての加藤周一」には、若干のキリスト教との関連(矢内原忠雄への言及「・・・のような真摯なクリスチャン」。「加藤さんの母が・・・」「カトリックへの入信」)も見られるが、今回、取り上げたいのは、次のエッセイである。

・山本義隆「科学技術ジャーナルの役割」
「科学技術は科学と技術ではありません。科学に裏づけられた技術のことです。その科学技術が西欧で生まれたのは、一九世紀中期です。」
「日本は欧米で生まれたばかりの科学技術の輸入を国の主導で図ったのです。」「以来日本は、ひたすら経済成長と軍事力の教化に励んできました。」
「科学技術は、もちろん宙に浮いているわけではありません。社会的連関のなかではじめて現実化されるのである。」「往々にしてブレーキの利かないプロジェクトとして暴走すること」
「技術者というのは、ときにかなり狭い視野のなかで物事を見ているように思えます。そこにこそ、科学技術ジャーナリズムの役割があるのではないでしょうか。」「利権集団の推進する巨大プロジェクトのごときもの」「これらの弊害にたいしてこそ、科学技術ジャーナリズムには批判の役割が求められているのではにでしょうか。」
「リニア中央新幹線」「経済的合理性の観点からも大きな疑問符」
「「啓蒙」ではなく「批判」を中心にすること、このことこそが科学技術ジャーナリズムの役割であり使命であると思います。」

 おそらく、「科学技術の神学」にも同様の議論が可能である。
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Author:LogosOffice
 これまで本ブログは、2013年度より2015年度まで科学研究費の交付(代表者・芦名定道)を受けて行われた研究を中心に、キリスト教思想研究に関わる情報を発信してきました。しかし、内容的にこの科研のテーマ(「自然神学・環境・経済」)に限定されない諸問題を扱うことが多くなったため、本ブログのタイトルと趣旨を変更したいと考えました。新しいタイトルは「自然神学・宗教哲学・自然哲学」となります。もちろん、これまで同様にさまざまな問題を取り上げます。
 なお、本ブログにもしばしばコメントが寄せられますが、多忙のため、原則として応答その他の取り扱いはいたしません。

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