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寛容な社会? 不寛容な人びと

 1990年代からしばらくの間、「寛容」というテーマが、現代思想で目立った時期がある。思想世界の流行はその後移ろいゆくことになるが、現実世界では、依然として寛容と不寛容とは、深刻な問題として存在し続けている。キリスト教思想にとっても、寛容論は過ぎ去った問題ではなく、常に現実の中で問われ続けられねばならない。
 こうした中で出会ったのが、次の文献である。

真鍋厚
『不寛容という不安』
彩流社、2017年。

プロローグ 「生きづらさ」と「不寛容」

第一章 誰が世界を壊したがっているのか
第二章 すべての歴史は修正を免れない
第三章 暴力と排除をこよなく愛するアイデンティティ
第四章 どんなユートピアもデストピアである
第五章 人間に永遠の命を与えるのは国家だ
第六章 〈感情〉という怪物が徘徊している
第七章 世界史の教科書に載らない何千万もの死者たち
第八章 居場所なき時代の絶望、または希望

エピローグ 「敵」でも「味方」でもないものの方へ


参考文献
映像資料

エピローグでの筆者の言葉を借りれば、本書の主張は、次のようになる。

「筆者が本書でいいたかたことは、自分たちの現在地についてのマッピングと来歴についてのリマインドを常に行わなければならない不安定さを受け入れながら、「価値観」「世界観」「主観」「妄想」「虚構」に必要以上にのめり込むことなく、少ない社会的資源を自らの手でつなぎ合わせて生活の基盤となる人的ネットワークを作ることの重要性だ(というかそれ以外に途はないだろう)。しかしながら、ここには新しい認識との出会いと創造性の発揮という冒険心や知的好奇心をくすぐるエキサイティングな地平が広がっているはずだ。」
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Author:LogosOffice
 これまで本ブログは、2013年度より2015年度まで科学研究費の交付(代表者・芦名定道)を受けて行われた研究を中心に、キリスト教思想研究に関わる情報を発信してきました。しかし、内容的にこの科研のテーマ(「自然神学・環境・経済」)に限定されない諸問題を扱うことが多くなったため、本ブログのタイトルと趣旨を変更したいと考えました。新しいタイトルは「自然神学・宗教哲学・自然哲学」となります。もちろん、これまで同様にさまざまな問題を取り上げます。
 なお、本ブログにもしばしばコメントが寄せられますが、多忙のため、原則として応答その他の取り扱いはいたしません。

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