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雑誌『黎明』のこと

 これは、野呂先生との関連で、「キリスト教研究の軌跡」のカテゴリに分類すべきものとも思われたが、雑感の方に分類することにした。

 野呂先生について数回にわたり取り上げてきた関係で、手元にあった、『黎明 キリスト教神学と宗教の研究雑誌』Reimei、第二号(松鶴亭)、1996年、に久しぶりに目を通した。野呂先生の出版物との関係で、購入したことを記憶している。創刊は、1995年であり、「『黎明』刊行の趣旨」には、次のようにある。

「この雑誌の刊行によって、キリスト教神学の、いやキリスト教神学のみにとらわれない、総合的な宗教研究の新しい流れの始めることを、私共は願って止まない。人類の歴史が始まって以来、宗教が常に人間にとっての希望であったように、この雑誌の刊行が、またひとつの新しい希望への道標となってくれればと願っている。」(1)

 新しい宗教研究を創造する試み、こうした試みは様々な仕方で繰り返され、現在もその努力は継続中である。わたくしの周辺でも、この『黎明』とほど同じ時期に、現代キリスト教思想研究会(https://sites.google.com/site/kyotochristianstudies/home)がはじまり、現在に至っている。こうした試みに接するたびに、特に現代キリスト教思想研究会について考えさせられるのは、創造的な研究会を継続するには何が必要かということである。「研究会」という形態の利点は、必要性がなくなれば、かなり容易に休会や会の終了が可能な点であるが(ここが「学会」との違いである。もちろん、学会も事実上自然消滅という現象は存在するが)、その反面、継続性の確保はかなりの問題を生じることがある。実は、現代キリスト教思想研究会に所属する「キリスト教思想研究の現在」研究会については、2010年度から休会にしてきたが、2013年度から再開することについて検討を始めているところである。『黎明』の場合は、野呂先生と関わりのある研究者を核とした研究雑誌と思われるが、野呂先生のまいた種は、現在、どのように成長し続けているのであろうか。

 『黎明』第二号の内容は、以下の通りである。

特別寄稿
わが魂のオデュッセイ(ヴァルド・ヴィリエルモ)

対談
「現代の木リス教信仰を語る」喜田川信、野呂芳男
1 今、何故にニーチェなのか
2 ニーチェと聖書・聖書解釈のあり方について
3 人間は神の刑罰を受けねばならないのか
  イエスは人間への刑罰を、代わりに背負って死んだのか
4 ニーチェと古代の宗教性
5 「神と無」の神話
6 宇宙時代の到来とともに

論文
非神話化の諸層──ブルトマンとエリアーデの神話理解をめぐって(岩田成就)
現代神学の批判的一考察──バルト神学、存在論的神学、神の死の神学について(林昌子)

エッセイ
ボールドウィン『もうひとつの国』とキリスト教<前編>(野呂芳男)

用語解説
編集後記
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まとめtyaiました【雑誌『黎明』のこと】

 これは、野呂先生との関連で、「キリスト教研究の軌跡」のカテゴリに分類すべきものとも思われたが、雑感の方に分類することにした。 野呂先生について数回にわたり取り上げてきた関係で、手元にあった、『黎明 キリスト教神学と宗教の研究雑誌』Reimei、第二号(松鶴...

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 これまで本ブログは、2013年度より2015年度まで科学研究費の交付(代表者・芦名定道)を受けて行われた研究を中心に、キリスト教思想研究に関わる情報を発信してきました。しかし、内容的にこの科研のテーマ(「自然神学・環境・経済」)に限定されない諸問題を扱うことが多くなったため、本ブログのタイトルと趣旨を変更したいと考えました。新しいタイトルは「自然神学・宗教哲学・自然哲学」となります。もちろん、これまで同様にさまざまな問題を取り上げます。
 なお、本ブログにもしばしばコメントが寄せられますが、多忙のため、原則として応答その他の取り扱いはいたしません。

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