科学技術とキリスト教(2e)

今回は、「科学技術とキリスト教」という問題にまさにぴったりの文献を紹介します。

富坂キリスト教センター編
『科学技術とキリスト教』
新教出版社、1999年。

解題(古谷圭一)
もくじ

第1部 時代を見すえる
第1章 大洪水を予感する父と娘の対話(安田治夫)
第2章 科学と技術とキリスト教信仰(古谷圭一)

第2部 課題を考える 
第3章 遺伝子のプログラムと神による創造(谷村禎一)
第4章 同性愛とキリスト者─現代科学への視点をふまえて(上山修平)
第5章 科学物質をめぐる今日的課題とキリスト教(中島貴子)

第3部 思想的に捉える
第6章 科学と宗教的次元(今井尚生)
第7章 被造物の理解─神学と自然科学との対話を目指して─カール・バルト「教会教義学」和解論を中心として(細川道弘・古谷圭一)
あとがき(上山修平)

富坂キリスト教センターの「自然・科学技術・人間 II」研究会の成果のまとめ。
冒頭にやや詳し目の解題が付けられており、本論集の全体を捉える上で、助けとなる。しかし、全体の印象は、それぞれの議論がばらばらに並んでいるといったところ。一応、整理すれば、次のようにまとめられるかもしれない。
第1部:現代の問題状況(総論的な視野から)
第2部:現代の問題状況(個別的な諸問題にそくして)
第3部:現代神学と科学技術の接点

 世界的な議論の状況から見て、日本における取り組みはようやく始まったばかりであり、その中で、この文献は問題提起的あるいは先駆的意義がある。しかし、3.11以降の状況を考えると、より本格的な議論が必要であると言わざるを得ない。

 一方で、ティリッヒの「文化の神学」に相当する基礎論が必要であり、また他方で、近代以降の科学技術についての踏み込んだ議論・分析が必要である。そして、さらにはこれら両者を媒介するものとなりうる哲学的な議論との折衝が求められる。こうした取り組みを本格的に行わない限り、日本のキリスト教思想は、「科学技術とキリスト教」という問題について、表面的で一過的な提言を、しかもキリスト教思想からではなくとも可能なような内容において、行うにとどまるであろう(やらないよりはまし、何もしないよりはまし、とも言えるが)。キリスト教思想・神学と外部との媒介しコミュニケージョンを成り立たせる基盤がまだまだ不明であるのが現状である。課題は多い。
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 これまで本ブログは、2013年度より2015年度まで科学研究費の交付(代表者・芦名定道)を受けて行われた研究を中心に、キリスト教思想研究に関わる情報を発信してきました。しかし、2016年度からの新しい研究プロジェクトに関連した事柄は、主に別のブログで取り扱うことにし、本ブログでは、これ以外の記事について継続的に内容を更新します(新しい科研に関するものも、記事の継続性の観点から一部はこちらでも扱います)。
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