現代思想における「生命」あるいは生命論理

 現代思想において「生命」は、テクノロジーとの関わりを含め、重要なテーマとして意識されており、多くの議論がなされてきた。「生命」を論じる、生命倫理と環境倫理は、それぞれキリスト教思想にとっても、無視できない思想的動向として認知されている。いずれも、1970年代以降(あるいは1980年代以降)、日本の大学でも応用倫理学の中心領域として研究・教育され、現在、生命倫理や環境倫理に関連した講義や演習は完全にカリキュラムのなかに定着し、また、高校の教科書や大学受験(たとえば、センター試験の倫理)にも登場するものとなっている。その意味で、生命論理あるいは環境倫理は、「制度化され確立された」学科とも言える。

 しかし、別の見方をするならば、特に「生命倫理」は、テクノロジーの進展を社会制度と調和させる思想動向(テクノロジーの「行き過ぎ」についての批判的チャック機能という点も含めて)と密接に関わり合って形成展開されてきたのであって、その点で言えば、現代の科学技術社会の一翼を担ってきたとも言える(これは、初期の環境倫理と対照的な点である。生命倫理の問いの立て方自体が問題的であると言える)。つまり、生命倫理は、それ自体が、現代思想を批判的に評価する際の重要なテーマとなり得るのである。フーコーによって提起されその後も思想的キーワードとして存在している「生政治」は、生命倫理において特徴的に現れていると言わねばならない。キリスト教思想において生命倫理を取り上げる際に、こうした視点は不可欠のものとなるのではないだろうか。このように考えると、生命倫理はそれ自体が重要な現代批判のテストケースとなり、本ブログの問いにも接近することになる。
 以上の点からみて、次の文献は重要な論点を含んでいる。

小泉義之
『生と病の哲学 生存のポリティカルエコノミー』
青土社、2012年。

はじめに

第I部 身体/肉体
第一章 魂を探して──ダイタル・サインとメカニカル・シグナル
第二章 来たるべき民衆──科学と芸術のポテンシャル
第三章 傷の感覚、肉の感覚
第四章 静かな生活


第II部 制度/人生
第一章 生殖技術の善用のために
第二章 性・生殖・次世代育成力
第三章 社会構築主義における批判と臨床
第四章 病苦のエコノミーへ向けて
第五章 病苦、そして健康の影──医療福祉理性批判に向けて

第III部 理論/思想
第一章 二つの生権力──ホモ・サケルと怪物
第二章 受肉の善用のための知識──生命倫理理性批判序説
第三章 脳のエクリチュール──デリダとコネクショニズム
第四章 余剰と余白の生政治

おわりに

初出一覧


「生命倫理はどこか具合が悪いと私は感じてきた。しかし、どのようにこの感触を理論的倫理的に定式化すべきかについて、私はまだ見通しを持ってはいない。加えて、生命倫理に対する批判を展開するにしても、幾つもの予備作業が必要になる。第一に、・・・」(254)

 現代思想が確立した知の創造的流動化をめざすものであるならば、ここに問われるべき問題の一端が存在する。
 なお、本書は、第I部第一章が、マタイのよる福音書第9章1-8節における「病の癒やし」から始められていることも、印象的である。

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