内村鑑三と政治神学

 内村鑑三は多面的な思想家であり、そのいずれにポイントを設定するかで、様々な研究が可能になる。そのポイントの一つが政治思想あるいは政治神学にあることはおそらく、間違いない問題設定となるであろう(こうした問題設定が内村の思想世界においてどのような位置を占めるのかは議論が必要ではある)。

 昨年は内村鑑三生誕150周年ということで、様々な記念企画が実施された。その一つが、今井館教友会による「内村鑑三生誕一五〇周年記念事業」であり、2011年3月22日から23日におこなわれた、講演会とシンポジウム、またシンポジウム当日に表彰式が行われた「エッセイ・コンテスト」については、矢内原忠雄の内村鑑三生誕100周年記念講演「日本の思想史上における内村鑑三の地位」を収録したCD付きの書物として、半年ほど前に刊行された。

今井館教友会編
『神こそわれらの砦』
教文館、2012年。

はじめに(新井 明)

I 講演
真理の継承──司会者のことば(坂内宗男)
内村鑑三──インターナショナル(木村ハンネローレ)
内村鑑三の「贖罪」観(道家弘一郎)
内村鑑三──後衛の道・狭隘の道(大山綱夫)

II シンポジウム「内村鑑三と現代」
シンポジウムについて(千葉眞)
内村鑑三と改宗の政治学──歴史・文化・現代的意義(トレント・E・マクシー)
内村鑑三と犠牲(高橋哲哉)
エキュメニカルなキリスト教の教師としての内村鑑三(武田武長)
パネル討論(司会と祈祷:千葉眞、パネリスト:高橋哲哉・武田武長)

III エッセイ
内村鑑三生誕一五〇周年記念エッセイ・コンテストについて(大山綱夫)
内村鑑三と私(小野寺友実)
内村鑑三と私(尾崎太一)
内村鑑三と私──異教徒は如何にして内村研究者となりし乎(渡部和隆)

あとがき──内村鑑三生誕一五〇周年記念事業を終えて(福島穆)

付録
内村鑑三略年譜
内村鑑三生誕百周年記念 日本の思想史上における内村鑑三の地位(矢内原忠雄)
今井館聖書講堂と資料館について

 今回のブログ記事のタイトルは「内村鑑三と政治神学」としたが、この点から特に興味深いのは、シンポジウムのトレント・E・マルクシー(司会者による原稿の代読)と高橋哲哉の発題である。マルクシーは、内村の改宗(日本人キリスト教徒の存在)が「「擬似外国人」として大衆化されつつあった国家意識の他者として機能」したという議論を行っており、現代の日本のキリスト教の在り方を規定する歴史的状況に関わる重要な指摘である。また、高橋哲哉は、内村の贖罪論における「犠牲の論理」が「ニーチェが批判したキリスト教の構造をなぞっているところがある」との批判的な疑問を投げかけている。これはキリスト教の贖罪論の再考を促す問題点であり、内村における贖罪論という中心思想の評価に関わると言える。道家弘一郎の講演も、贖罪論という連関では関連が出てくる。高橋の疑問に対しては、司会者である千葉眞がパネル討論でコメントを行っており、さらにそれに対する高橋の応答という言う仕方で議論が展開しており、関心のある方は一読いただきたい。
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