キリスト教と翻訳の問題(3)

 前回の「キリスト教と翻訳の問題」では、翻訳が狭義の文化的事象に止まらず、ましてや語の置き換えの技術などに矮小化できるものではないこと、むしろ、国家的政治的な事象であることが強調された。紹介された與那覇氏の『翻訳の政治学』(岩波書店)が論じるように、翻訳は「近代」を理解する上で鍵となることに注目したい。もちろん、この際の「近代」は、與那覇氏が論じるように、「長い近代と短い近代」というべき二重性を有することは言うまでもない。こうした「近代」をめぐる諸論点については、わたくしも、次の論文で議論したことがあるので、関心のある方は参照いただきたい。

・芦名定道「近代/ポスト近代とキリスト教──グローバル化と多元化」『キリスト教と近代化の諸相』現代キリスト教思想研究会、2008年、3-18頁)

 日本の近代は翻訳という事象との関連で論じるときどのような仕方で理解可能になるのか、その中で聖書翻訳はいかなる位置を占めるのか、興味深い研究テーマである。こうした議論との関わりで参照できる文献をいくつか紹介して見たい。

 まずは、與那覇氏も、著書のなかで参照し言及している次の文献。
・ブルーノ・ラトゥール(Bruno Latour)
『虚構の「近代」──科学人類学は警告する』(Nous n'avons jamais été modernes)
新評論、2008年(1991, 1997)。

次に、新書の二冊。
・鈴木貞美
『日本の文化ナショナリズム』
平凡社新書、2005年。

日本のナショナリズムの形成過程は、聖書翻訳の背景・文脈となる。本書では新渡戸との関わりで聖書翻訳への言及がなされる。「宗教と学問」「国任文化の形成」という問題が重要であるし、「当時のエリートの卵には、読み書き能力、リテラシーにおけるトリリンガル(trilingual)が要求されたのだ」(98)との指摘など、明治キリスト教指導者の教養を理解する上でも参照すべきであろう。

・丸山真男・加藤周一
『翻訳と日本の近代』
岩波新書、1998年。

「加藤周一が丸山真男に発した質問に、丸山が応えた内容を整理した」(185)ものであり、対談の形式をとっている。テーマは、ずばり、翻訳と日本の近代化である。「翻訳の問題でおもしろいのは、共産主義や社会主義の紹介が早いことです。明治一〇年代に訳しているのだから、後進国の早熟性というか」(170)とは丸山の言葉。本格的な日本語への聖書翻訳の取り組みも、これと同時期であり(鈴木範久『聖書の日本語 翻訳の歴史』岩波書店)、明治時代の自由民権運動や社会主義運動(キリスト教社会主義も含め)などが、こうした翻訳事業との関わりで理解されるべきことは容易に想像できることである。
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