思想史における民衆という問題(5)

 日本キリスト教思想史との関連における民衆・民衆思想・民衆史を論じる手がかりとして、網野善彦の中世史研究を取り上げたい。その前に、わたくしが網野に注目する理由から述べておくことにする。
 網野は日本史研究においては、いわゆる網野歴史学でも言うべき研究を残した近年を代表する歴史家であるが、その専門である中世研究にとどまらず、日本史の基礎に関わる議論を行っている点で、注目すべき思想家と思われる。それは、日本思想史や日本史の前提となる「日本」自体の問い直しの作業である。キリスト教研究においても、しばしば、日本キリスト教、日本的キリスト教、あるいはアジアの神学といった言葉が用いられ、それなりの論が展開されることがある。しかし、多くの場合に不満なのは、その際の日本とかアジアとかいった対象が、自明のものとして実体化されて論じられていることである。おそらく、特に日本のキリスト教などを思想的というに値するレベルから論じるには、その前提である「日本」自体の批判的考察を要するはずであり、少なくとも、キリスト教の本質をめぐりトレルチが行ったような議論から「日本」概念を問うといった程度のことは必要不可欠の作業であろう。
 こうした点に、網野の日本の批判的問い直しは、きわめて興味深い。そこに提示された日本理解は、近世江戸期以降に主に構築され明治期に以降に伝統化された日本像に大きく修正を迫るものであり、日本キリスト教という場合の日本が何であるかを考える上で、示唆に富んでいる。たとえば、武士道を典型として描く「日本」という視点から「日本のキリスト教」を問うのか、あるいは民衆という視点から「日本のキリスト教」を問うのとでは、まったく異なった議論が展開される可能性がある。というのも、トレルチの指摘するように、本質概念とは理想概念だからである。

 特に次の文献を挙げておきたい。これは、講談社刊『日本の歴史』全26巻の全体の初巻として位置づけられたものであり、「日本の歴史」の前提である「日本」をテーマ化している。

網野善彦
『「日本」とは何か』
講談社、2000年。

第一章 「日本論」の現在
  1 人類社会の壮年時代
  2 日本人の自己認識──その現状

第二章 アジア大陸東辺の懸け橋──日本列島の実像
  1 アジア東辺の内海
  2 列島と西方地域の交流
  3 列島の北方・南方との交流
  4 東方の太平洋へ
  5 列島社会の地域的差異

第三章 列島社会と「日本国」
  1 「倭国」から「日本国」へ
  2 「日本国」とその国制
  3 「日本国」と列島の諸地域
  4 列島諸地域の差異
  5 「日本・日本人意識」の形成

第四章 「瑞穂国日本」の虚像
  1 「日本は農業社会」という常識
  2 「百姓=農民」という思いこみ
  3 山野と樹木の文化

第五章 「日本論」の展望
  1 「進歩史観」の克服
  2 時代区分をめぐって

参考文献
索引

 問題は、この「日本」と「日本の歴史」において民衆とは何か、民衆にいかに迫るのか、ということである。民衆史という議論はここから始まる。
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