思想史における民衆という問題(18)中間的まとめ3

 中間的まとめもやや長くなってきたが、その最後として、もう一つのポイントをまとめておきたい。ここまでの文献紹介と考察で明らかになった来たことは、思想と民衆とを繋ぐ場としての公界・アジールの存在である。おそらくは、これまでの議論を図式化すれば、「思想家個人─公界往来人共同体─民衆」という連関が思想形成の場として分節され、ここにイデオロギーとユートピアのそれぞれが重層的に絡み合う姿が観察されると言えよう。
 では、この公界をめぐりどのようなことが問題となるだろうか。ここでは、さしあたり、次の2点を指摘して、中間的まとめをしめくくりたい。

公界と近代化
 公界とアジールは、それぞれ日本とヨーロッパとの中世を論じる中で言及されたものであり、一方では古代の知・制度に遡り、また他方では近代の知・制度にその影響・痕跡を辿ることが可能な位置を占めている。近代化の過程で公界はどのように変化するのであろうか。それは国によって地域にとってさまざまではあるが、基本的には近代化は公界のを消滅させる作用を及ぼすことになる。全体主義はその一つの到達点と思われるが、そこまで行かなくとも、法の一元支配、初等教育制度の普及は、中世・近世の自治都市に見られるような、「「敵味方のきらいなき」「敵味方の沙汰の及ば」ぬ「平和領域」」「「無縁」「縁切り」の原理」(網野善彦)が別の秩序を可能にしていた「公界」の存在を困難にする。確かに、江戸時代の寺請制度も宗教の政治からの自立を不可能にするものとして作用し日本における宗教の私事化を定着させるものとなったが、明治の近代化はそれを質的により高い仕方で実現することになる。戸籍制度と私有財産制度、そして徴兵制という近代国民国家の制度の導入は、国家の法や秩序の及ばぬ「公界」の存在を原理的には許さない。もちろん、一挙に「公界」は消滅に向かったわけではなく、そこには力関係におけるせめぎ合い、抵抗の試みが存在してきた。おそらく、こうした抵抗の試みがきわめて困難になったのは、1970年代から80年代の状況の変化(学生運動の挫折・後退と総評などの労働運動の解体)によるものと思われる。日本における「公界」の試みは終焉に至ったのか、その新たなる可能性は存在するのか。これが現在の問題である。

公界と聖書
 聖書、特に古代イスラエル民族との関わりで、公界という問題を考えるとき、思い浮かぶのは、「逃れの町」の存在であろう。民数記35.9-28やヨシュア記20.2-9などに登場する、過って殺人を犯した者が正当な裁判を受けるために、私的復讐を逃れて避難できる町、この逃れの町は、復讐法の少なくとも一時宙づりにする特殊な空間領域として設定されている。この逃れの町をめぐる歴史的実態については、旧約聖書研究の専門家にうかがわねばならないが、公界の問題をより広い問題設定の中で論じる際には検討してみたい問題である。おそらく、「公界」に類似の共同体的秩序は、聖書中にさまざまな仕方で発見できる。旧約だけでなく、そもそも新約における初期キリスト教共同体も、こうした公界の性格を共有捨ていたのではないだろうか。ジジェクがパウロの共同体を、「アウトカーストの共同体」「戦う共同体」と呼ぶときに、そこで問題になるのはこの特性のはずである。キリスト教は現代においてもなおも「公界」の母体たり得るか。
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

LogosOffice

Author:LogosOffice
 これまで本ブログは、2013年度より2015年度まで科学研究費の交付(代表者・芦名定道)を受けて行われた研究を中心に、キリスト教思想研究に関わる情報を発信してきました。しかし、2016年度からの新しい研究プロジェクトに関連した事柄は、主に別のブログで取り扱うことにし、本ブログでは、これ以外の記事について継続的に内容を更新します(新しい科研に関するものも、記事の継続性の観点から一部はこちらでも扱います)。
 なお、本ブログにもしばしばコメントが寄せられますが、多忙のため、原則として応答その他の取り扱いはいたしません。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
Translation(自動翻訳)
FC2カウンター
カレンダー
09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR