思想の試みとして、民衆へ(4)

 近代日本、「民衆へ」の思想、文学者、という組み合わせで、時代を太平洋戦争後へ移すと、また多くの思想家が登場する。ここでは、戦後の最初の20年の範囲において、その後の民衆史・社会思想史・労働運動史を画することになった、三井三池闘争に関連して、谷川雁(1923-1995)を取り上げたい。谷川には、田川建三が批判的な論考を書いており、そのことも、ここで谷川を取り上げる理由である(取り上げると言っても、触れる程度であるが)。

 谷川には、サークル村、工作者などの言葉が連想され、また、「ゲッセマネの夜」という詩が存在する(『谷川雁詩集』思潮社、33-34)。(ゲッセマネの夜、受難週・受難日にまさにぴったりの符合であるが、これは偶然である。)
村、コミューンを夢見た詩人谷川は、「民衆へ」の思想家を志向したことは疑いないであろう。

 わたくしの手元にあるのは、わずか次の二つの文献である。

『谷川雁詩集』思潮社、1968年。
・松原新一編『谷川雁詩文集 原点が存在する』講談社文芸文庫、2009年。

 これらの両方の文献に収録されているのが、「原点が存在する」という詩論であり、詩人、思想家としての谷川が自らの原点を問うた文章である。おそらく、多くの言葉と同様に、「原点」という言葉も、さまざまな文脈に移され、さまざまな連想を生み出しつつ、動いて行く。ここから谷川にはあずかり知らない思考が多く紡ぎ出されてきた。こうした思考を生み出す力をもった(もちえた)言葉が「原点」であり、「民衆へ」という志向性が思想家のここに根ざしていると言えよう。
 以下、講談社学芸文庫から引用。


「詩人とは何か」(72)
「汝、尾をふらざるか」(73)
「二十世紀の「母達」はどこにいるのか。寂しい所、歩いたもののない、歩かれぬ道はどこにあるか。現代の基本的テエマが発酵する暗く温かい深部はどこであろうか。それこそ詩人の座標の『原点』ではないか」(74)
「私達は未来へ向けて書いているのではなく、未来へ進む現在へ向けて書くのだ。偶像を排撃せよ! 観念的労働者主義をうちやぶれ! 今日の大地の自らの足もとの深部を画け! 汝、足下の大地を画くか!」(76)
「詩人の任務は古い言葉の火を生きながらえた人類の新しい言葉に点じるまで「火を消さぬ」こととなった。私達が歌いやめたとき、すべての詩は死ぬのだ」
「汝、人類の生存を望むか」(77)

 しかし、この後に、挫折の時代がやってきた。
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