翻訳をめぐって・続

 昨日は、山浦玄嗣さんのケセン語訳聖書を手がかりに、聖書翻訳の問題についていくつかの論点を取り上げ、議論を行った。今回は、山浦玄嗣『イエスの言葉 ケセン語訳』(文春新書)によって、補足的な議論を行いたい。この著書については、以前に取り上げたことがあるが、聖書翻訳の一つの具体的な形として、参照に値するものであることは、今回のブログでも再度確認しておきたい。

 この著書は、聖書の具体的な文言の訳を検討する形で内容が構成されているが、まず「1 神さまの思い」で取り上げられるのは、ヨハネ1・1~5である。14-15頁に、ケセン語訳を上段に、新共同訳を下段に配置し、比較対照できる仕方で、ケセン語訳が提示されている。その後、いくつかの部分について、なぜケセン語訳でこうなるのかの解説がなされており、そこにケセン語訳の翻訳方針(理論)が示されている。たとえば、

「「ことばの中に命があった」では判じ物みたいでよくわかりません。それでわたしはこのことば本来の意味をとって「神さまの思いにはあらゆるものを幸せに活き活きと生かす力があった」と訳したのです。」(18)

とある。これは典型的な翻訳方針である。逐語訳としばしば表現されるものの対極に位置するわかりやすさという翻訳原則である。もちろん、それは「ことば本来の意味」というように原文忠実という原則を無視したはいないものの、比重が読者(前回論じたように、ここにも複雑な問題があるわけであるが)の理解に置かれていることは否定できない。この点でケセン語訳はリビングバイブルの一つのバリエーションとも言える。したがって、ケセン語訳の評価は、翻訳原則自体の妥当性の評価と採用された原則の具体化の妥当性の評価との二つのレベルで行われねばならない。
 前者の翻訳原則自体の妥当性に関しては、前回のブログである程度論じたことであるので、ここでは、後者の具体的な訳文のわかりやすさに議論を絞りたい。
 この訳文がわかりやすいかについては、もちろん、さまざまな議論・感想が可能である(「わかりやすさ」とは直感的な事柄であるるが、その説明は決して容易ではない)。たとえば、「神の思いには」「力があった」は、わかりやすであろうか。そもそも、「思い」とは何であろうか。「思い」は「力」をもつことのできる主体なのか、「思い」はそこに「力」があらわれる場所のようなものなのか、力は「思い」の属性のようなものなのか。実は、日本語(あるいはケセン語)の「思い」はきわめて曖昧な、しかも考えれば考えるほどわかりにくい事柄のように思われてくる。しかも、読者の理解がかなり幅をもつことになる言葉であって、読者は読者なりの理解においてわかりやすさを感じることになる(それで良いとも思われるが、はたしてそう断言して問題は生じないか)。
 「思い」という言葉で思い起こされるのは、マルコ12・30などにある「思い」の場合である(ケセン語訳でどのようになっているかについては、確かめていない)。ここでの「思い」は、「心」「精神」「力」と並列的に登場する。「思い」とは何であろうか。おそらく、これは日本語レベルで処理することの限界(翻訳の限界)であり、原語のギリシャ語にもどることによって「理解」すべき事柄ではないであろうか。つまり、これは、翻訳には注(さらには解説)が必要であるということを意味している。しばしば聖書翻訳には注が必要であるとの理由はこの点にある。通常は注が付されることになって翻訳聖書が大部になってりますことを避けるために、注を付けないという選択がなされるがわけであるが、「理解」という点では、注は不可欠である。たとえば、岩波訳に注が付されているのは、この理由から納得できることになる。問題は、「わかりやすさ」と「理解」との関係である。理解はわかりやすさを含むがそれでけではない、あるいはわかりやすさは理解の入り口である、といったところであろうか。

 翻訳方針が明確な新しい翻訳の登場の意義は、翻訳について具体的に考える素材・場を提供することにあると言うべきであろう。
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