脳神経科学と認識

 4月30日のブログで予告した、『世界思想』40号(2013.春、世界思想社)から、脳神経科学に関わるエッセイを紹介します。

1.山鳥重「脳の働きと心の働き──ヒューリングズ・ジャクソンの神経哲学」
 筆者の専門領域は、「神経心理学」。エッセイの基本的主張は、小見出しからも推察できる。「脳は見ない──私が見る」、「ジャクソンという思想家」、「脳の働きと心の働きは別々に考えよう」、「心は神経進化の頂点に出現」、「知が先か、行為が先か」。
 まず、ここで参照されているのは、「神経学の父」といわれるイギリスの神経医ヒューリングズ・ジャクソンの考えであり、筆者は「脳の活動があって、神経活動が生じているのは疑いようもない事実だが、その関係は因果関係ではない」(43)という点から脳と心の関係を論じているのである。それは、脳と心(あるいは私)を別々に理解するということであり、「神経過程だ土台であるが、心理現象は心理現象から生み出される」(44)という立場である。ここから、知と行為との関係を考えるというのが、エッセイの締めくくりの議論である。
 これは、わたくしも、以前に、「脳科学は宗教哲学に何をもたらしたか」(芦名・星川編『脳科学は宗教を解明できるか?』春秋社、2012年)で展開した論点であり、このエッセイは基本的に同意できる内容であった。

2.加藤泰史「脳神経科学の哲学的挑戦」
 このエッセイでは、脳科学と哲学という議論ではいわばお馴染みの「リベットの実験と意志の自由」という議論を取り上げながら、それが、ジンガーやロートといった脳神経学者においてどのように展開され(「脳神経科学の理論的挑戦は「責任」をはじめとして「人格」や「義務」などといった実践的諸概念の意味変換までおよび、最終的には人間という観点に由来する生活世界的イメージ、および心に関する日常言語的用語法を誤謬として退けようとする」(48))、それに対して、ハーバーマスらの哲学者(「二重アスペクト理論」。セラーズに遡る)が如何なる仕方で対抗しようとしているのか、を論じられている。
 筆者の結論は、二重アスペクト理論では脳神経科学による自由意識や人格や責任といった諸概念の解体に対抗することは困難であり、カントに帰る必要があるということである。「今もう一度」、“Auf Kant muss zurueckgegangen werden!”(「カントに帰らなければならない」)と繰り返したい」(50)。
 カントに帰る理由については、このエッセイでは展開不足であるが、今後の議論の展開に注目したい。カントに帰るは別にして、このエッセイでの議論については、合わせて次の文献を読むことが有益と思われる。
 小坂井敏晶『責任という虚構』東京大学出版会、2008年。
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