憲法論議について

 現在、憲法をめぐっては、参議委員選挙をにらんで、さまざまな議論が行われている。どんな議論を行うにせよ、最低限の事実認識が前提として確認されていないところに一つの「論」と言いうるものは成り立たないわけであり、その意味で、いわゆる現憲法が「押しつけである」かどうかは、議論をする者が一度きちんと確認すべき事柄なはずである。それについては、本ブログでもいずれ取り上げる機会があるもとの考えているが、ここでは、5月3日に東京新聞の憲法記念日インタビューとして掲載された、次の内田樹氏の議論を紹介したい。もっともな理にかなった議論と思われるが、いかがであろうか。以下、「内田樹の研究室」より、その一部を引用するが、全文は、リンク先をご覧いただきたい。

「―占領下の米国による「押しつけ憲法」であることも改憲論の根拠になっています。

それならまず憲法を「押しつけた」ことについての歴史的謝罪を米政府に求めるのが筋でしょう。そうしないと話の筋目が通らない。
米国からすれば日本国憲法は一種の贈り物です。独立宣言以来の民主主義の理念を純化させ、当時の世界の憲法学の知見を結集して作った「100点答案」です。これを「出来が悪いから変える」というのであれば、日本国民のみならず、まずは「押しつけた」米国に対して、そして国際社会に対して、日本国憲法のどこが不備であるのかを説明する責任があるでしょう。
自民党の改憲草案は、近代市民革命の経験を通じて先人の労苦の結晶として獲得された民主主義の基本理念を否定する時代錯誤的な改変です。これについても、なぜ歴史の流れに逆らってまで憲法をあえて「退化」させるのかを国際社会に対して弁ずる義務がある。
日本のあるべき国のかたちを変えるわけですから、「これからはこう変わります」と宣言するのは国際社会のメンバーとして当然の義務でしょう。
でも、改憲派の人で国連総会でもどこでも「この改憲によって日本の憲法は人類史的に新たな一歩を画した。諸国も日本を範として欲しい」と胸を張って言うだけの勇気のある人がいるのでしょうか?」

 大日本帝国憲法にせよ、日本国憲法にせよ、これらはすべて西欧の近代憲法の理論を前提に成立したものであり(その出来不出来については議論があるとしても)、まず問われるべきは、この近代憲法の理論的基盤においての評価である。それすら無視した暴論をおこなうのであれば、「憲法」という用語を使用すべきではない。つまり、それは改憲ではなく、革命ということになる。
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