無教会キリスト教研究に向けて

 本年度のキリスト教学の演習では、昨年度までの波多野精一から無教会キリスト教(まずは内村鑑三)へテーマが変わったことは、すでに本ブログでもお知らせした通りである。この演習とも無関係ではないが、今年度は無教会キリスト教を研究テーマに加える別の理由が存在している。それは、研究論文あるいはエッセイの執筆をあるところから依頼され、そのテーマとして無教会キリスト教を選んだということである。

 無教会キリスト教を論じると行っても、わたくし自身はその専門研究を行ってきたわけでないので、スタンダードな内村研究や無教会研究を行うには限界があり、こうしたことはわたくしが取り組むべき課題ではないであろう。とすれば、むしろわたくしのこれまでの研究に引き寄せた仕方での研究ということになる。以下は、その構想のメモである。

・無教会キリスト教を近代キリスト教の文脈に位置づけ、無教会キリスト教とは何かを論じること。まずは、内村自身の、そして弟子達の理解が問題となる。

・無教会キリスト教を社会形態・社会教説において論じること。これは、トレルチの視点が念頭に置かれたものであるが、サクラメントなしの無教会キリスト教とはいかなる意味でキリスト教なのか、それは、伝統的諸教派におけるキリスト教といかなる距離にあるのか。たとえば、エホバの証人やモルモン教と伝統的キリスト教教派との距離は、無教会と伝統的キリスト教諸教派との距離に比べ、どのような評価が可能なのか(より遠いのか、より近いのか)。あるいは、これらは比較の尺度として不適当なのか。

・無教会キリスト教は、たとえば、再臨運動の時期について「運動」という表現は可能か。内村と弟子によって構成された聖書研究会は、近世近代日本の「私塾」的伝統に位置づけることは適当か。

・以上のような問いを論じつつ、無教会キリスト教の思想的核心とは何かについて、いくつかのポイントを浮かび上がらせてみたい。
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 これまで本ブログは、2013年度より2015年度まで科学研究費の交付(代表者・芦名定道)を受けて行われた研究を中心に、キリスト教思想研究に関わる情報を発信してきました。しかし、2016年度からの新しい研究プロジェクトに関連した事柄は、主に別のブログで取り扱うことにし、本ブログでは、これ以外の記事について継続的に内容を更新します(新しい科研に関するものも、記事の継続性の観点から一部はこちらでも扱います)。
 なお、本ブログにもしばしばコメントが寄せられますが、多忙のため、原則として応答その他の取り扱いはいたしません。

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