死と死者儀礼(5)

死の問いと自伝、そして告白

 死は人間固有の可能性というべき事柄であるが(ハイデッガーあるいは波多野が論じるように)、「死」は、「自伝」という文学ジャンルの中で独特の仕方で表出されることになる。長い思索を経た思想家が自らの晩年に自分の生涯を振り返り書かれた「自伝」は、身近な者の死に直面し、あるいは自らの死の予感・先取りがなされている点で、しばしば死についての貴重な証言となっている。
 こうした観点から、本ブログでは、いくつかの「自伝」を取り上げてみたい。今回は、それに先立ち、そもそも自伝を成り立たせている一つの要素である、「告白」について考えておきたい。

 聖書の諸文書内には、告白に関連した展開を確認することができる。宴会の発端の一つは、祈りという形態における告白であり、詩編に収録されたいくつかの詩は、罪の告白・懺悔というモチーフでまとめることができる。
 たとえば、次の詩編51編におけるダビデに帰せられる罪の告白は典型的なものである。

「2 ダビデがバト・シェバと通じたので預言者ナタンがダビデのもとに来たとき。】
3 神よ、わたしを憐れんでください/御慈しみをもって。深い御憐れみをもって/背きの罪をぬぐってください。4 わたしの咎をことごとく洗い/罪から清めてください。5 あなたに背いたことをわたしは知っています。わたしの罪は常にわたしの前に置かれています。6 あなたに、あなたのみにわたしは罪を犯し/御目に悪事と見られることをしました。あなたの言われることは正しく/あなたの裁きに誤りはありません。7 わたしは咎のうちに産み落とされ/母がわたしを身ごもったときも/わたしは罪のうちにあったのです。
・・・・」

 これは、罪は告白されることによって言語化される(罪の表出の原初形態としての告白)というリクールの議論(リクール『悪のシンボリズム』渓声社)との関わりでも興味深い問題であり、また、祈祷論という文脈における展開も可能である。
 神が全知全能であるならば、なぜ祈る必要があるのか。何を祈るべきか。祈れないときにどうしたらよいのか。祈りは聞き届けられるのか、聞き届けられない祈りはどうなるのか。これらの祈祷をめぐる諸問題は、祈りにおける言葉の選択、内容の吟味のプロセスを帰結し、祈祷論は告白としての祈りから文学としての祈り(関根正雄『旧約聖書文学史』上下、岩波全書)への展開を引き起こすことになる。それは、罪の告白から告白文学あるいは自伝文学の誕生にとって重要な意味を有することになる。

 この告白文学あるいは自伝文学の成立の過程にとって重要なもう一つの問題は、手紙・書簡という形式における告白の登場であり、それは聖書の中で言えば、パウロ書簡において確認される段階である。たとえば、ローマの信徒への手紙の有名の次の文である。

「7:14 わたしたちは、律法が霊的なものであると知っています。しかし、わたしは肉の人であり、罪に売り渡されています。15 わたしは、自分のしていることが分かりません。自分が望むことは実行せず、かえって憎んでいることをするからです。16 もし、望まないことを行っているとすれば、律法を善いものとして認めているわけになります。17 そして、そういうことを行っているのは、もはやわたしではなく、わたしの中に住んでいる罪なのです。18 わたしは、自分の内には、つまりわたしの肉には、善が住んでいないことを知っています。善をなそうという意志はありますが、それを実行できないからです。19 わたしは自分の望む善は行わず、望まない悪を行っている。……24 わたしはなんと惨めな人間なのでしょう。死に定められたこの体から、だれがわたしを救ってくれるでしょうか。25 わたしたちの主イエス・キリストを通して神に感謝いたします。このように、わたし自身は心では神の律法に仕えていますが、肉では罪の法則に仕えているのです。」

 これは、書簡に挿入された告白というべきものであるが、これは、詩編の祈りのように神と自己との関わりにおける言語行為であることを超えて、この関わりについて一定の読者(さしあたりは特定の聴衆)に対し証言するという新しい言語行為・文学ジャンルの成立を意味している。
 
 この書簡におけるテキスト化という事態は、次の段階では、特定の聴衆から一般の読者へと進むことになり、ここに成立するのが、文学としての告白(告白文学・自伝文学)と言えるのではないだろうか。アウグスティヌスの『告白』は、作品となった「告白」あるいは「告白」として提示された思想の成立という点で画期的な作品であって、これが西欧の告白文学の展開過程の発端に位置しているのである。「自伝」としての告白文学は、著者の自己同一性の確認と読者への提示という機能を有しており、この自己同一性にとって「死」は決定的な役割を果たしているのである。
 こうして、「死と死者儀礼」というテーマにおいて、自伝を扱う根拠・理由が了解可能になるのである。
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