死と死者儀礼(7)

 今回取り上げるのは、前回のモルトマン同様に、日本においては、宗教哲学者・神学者として知名度の高い、現代の英語圏を代表するキリスト教思想家ジョン・ヒック(1922-2012)の自伝である。これは、ヒックが逝去する10年前の自伝であるが、ヒックが比較的、死や死後というテーマについて議論を行うことが多かったことからも想像できるように(『魂の探求:霊性に導かれる生き方』として訳されたThe Fifth Dimensionの最終章や、『人はいかにして神と出会うのか』として抄訳されたThe New Frontier of Religion and Scienceの最終章など)、死というテーマがさまざまな仕方で現れている。 

 なお、ヒックの場合もモルトマンと同様に、子供や孫に自分の人生について知っていて欲しいとの希望が自伝を著わす動機の一つであったことは、次の引用からわかる。

「この思い出は、数年間にわたり、他の執筆の合間に書き続けたものである。もともとの動機は、孫たちが少し大きくなったときに抱く、「ジョンおじいさん」への好奇心を満たすためだった。私自身、もしも祖父母や両親が同じような何か素敵なものを残しておいてくれたなら、きっと強い関心を抱いただろうと思う。そして、だれもが人生のある段階で、自分の先祖のことをもっと深く知りたいと思うのではないかと想像する。」(v)

ジョン・ヒック(間瀬啓允他訳)
『ジョン・ヒック自伝──宗教多元主義の実践と創造』
トランスビュー、2006年。
(John Hick, John Hick: An Autobiography, Oneworld Publications, 2002.)


 ヒックのこの自伝において登場するのは二人の親しい家族の死である。まず、末の息子マイクの死(1985年、24歳)。

「数週間後、クレアモントに戻ったときのことだが、マイクが私のそばに立ち、そのあと開いている脇の戸口から外に去って行くという、一瞬だが鮮明なビジョンを見た。そこにはマイナスの感情ではなく、むしろプラスの感情があった。家族の中では、本当に誰も、マイクのことを忘れたことはない。彼がいない淋しさは今も続きている。彼のことを思うとき、今出も涙がこぼれる。」(399)

 次は、ヒックの妻ヘーゼルの死(1996年)である。

「妻の死は予期せぬことであり、まさに青天の霹靂だった。私のほうが四歳年上であるから、統計上では女性のほうが長生きをして、先に死ぬのは私のほうであるものと思っていた。しかも彼女は健康そうに見え、きわめて活発だった。」
「私たち家族は皆、母親の死を悼んでいる。妻ヘーゼルと私を取り巻く家族の輪は、レナ、マーク、ピート、先に亡くなったマイク、「義理の子どもたち」や孫たち、そして妹のシャーリーとも常に密接だったからだ。」(437)
「妻の死後の二年目に、私はこんな夢を見た。」
「今日、午後、十分ほどの仮眠の際に夢を見た。私は腰掛けで目を閉じ、机に向かって考えことをしていた。そのとき、私に手が触れた。どういうわけか、われが妻ヘーゼルであることに気づき、その手に口づけした。・・・」(438)

 死は家族の死だけではなく、歴史の中の巨大な死、戦争にも関わっている。ヒックも例外ではない。第4章の「良心的兵役忌避者になる」は、「戦争と叫ぶ集団的人殺しには、良心がとがめてどうしても参加できない、と言う人々がいる」(55)で始まっているが、この戦争と兵役、そしてそれをめぐる父親との確執は、ヒックにとって重大な問題となった。ヒックは、「兵役免除の審理にかけられ、代替役務の形でフレンド派救援隊(FAU)に加わる」(55)ことになったが、これは大きな転換期であった。

「大学と神学院ですごして準備することはできたが、それ以上に、FAU活動で三年間をすごしたことは、牧師になるため、そして人生に備えるために、よい準備になったと思っている。こうして、人生の新しい一章が始まったのである。」(93)

先に見た二人の家族の死の中間に第24章「東洋仏教と出会う」との章が置かれているが、仏教との本格的な出会い(1980年代)はヒックの死についての考えを深める上で、重要な機会になったように思われる。特に阿部正雄への言及が多くなされている。

「もしも彼らが「自我の死」に達して、自我中心性を超え出るならば、これは個を弱めるどころか、逆に個を強め、世事に深く関わることになるだろう。」(403)

 この自我の死は、ヒックの宗教多元主義論の展開に大きな意味を持つようになる。
 しかし、この自伝で、死がもっとも印象的に登場するのは、最終章である第28章「私の死亡記事──エピローグ」であろう。書き出しは次のようになっている。

「かねがね考えてきたことなのだが、これから何年か後に、きっとどなたかが──親しい友人でもないどなたかが──書くことになるであろう私の死亡記事を、先回りして自分で書いてみるのも、なかなか乙なものだろう。」(459)

 そして、結びは次にようになる。

「ヒック氏は仏教的形態の瞑想法を実践し、合同改革派教会の礼拝と、クエーカーの集会の両方に出席した。宗教と気質のいずれか、あるいはその両方のおかげて、常時、ある種の平静さを保持した。またその実践的な人生観は、親密な家族生活に強く支えられて、常に積極的かつ楽天的なものだった。一九五三年に結婚した妻のヘーゼル(旧姓バワーズ)は、四十四年間の結婚生活を終えて先立った。娘一人と息子二人(三人目の息子は山岳事故で夭折した)と孫四人を残して、ヒック氏はこの世を去った。」(464)

 長くなったので、目次は省略。なお、本ブログでは、ヒックはさまざまな文脈でかなりの回数取り上げてきた。関心のある方は、キーワードを工夫して検索していただきたい(すべてがうまく検索できるわけではないようであるが)。
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