キリスト教関係研究所5

 日本のキリスト教系の大学では、キリスト教に関わる研究所を設置しているところが少なくない。わたくしも、これまで、そのいくつかの研究所とはさまざまな関わりを持ってきた。
 
 たとえば、東北学院大学のキリスト教文化研究所である。
 かなり以前になるが、この研究所とは、2001年に「P. ティリッヒの学問体系論―神学と科学の関係をめぐって―」との題の講演を行ったことがあり、それは、研究所刊行の紀要にも掲載された。
 京都大学のキリスト教学研究室に関係の方々で、この研究所で講演の記録があるのは、水垣渉、金子晴勇の両先生、また安酸敏眞さんなどであり、ある程度の繋がりが感じられる(もちろん、研究所や研究室単位の関わりというよりも、基本的には個人的なレベルでのものであるが)。
 研究所の活動は、通常、講演会と紀要刊行が中心に行われ、それに研究プロジェクトを加えるといった形が通常であるが、この東北学院大学キリスト教文化研究所の場合は、HPで次のような「概要」の説明がなされている。

「キリスト教文化研究所は、総合人文学科教員を中心とした所員から構成され、キリスト教神学の研究とその成果の公表、研究資料の収集を行うために設立されました。本研究所は神学関係の専門書籍と専門誌のバックナンバーを収集・所蔵して、神学研究者の利用に供しています。特に、2005年に所蔵文献の OPAC遡及入力が完了し、検索が便利になりました。

所員の研究成果は、毎年主題を定めて行う「研究フォーラム」と『キリスト教文化研究所紀要』の発行を通して公表しています。「研究フォーラム」では、キリスト教に関わる学問的諸問題のみならず、キリスト教大学のアイデンティティの問題や、キリスト教史における文化・芸術、救貧活動など、極めて現代的なテーマも取り上げています。『キリスト教文化研究所紀要』は1983年に創刊され、所員の研究成果である論文と研究フォーラム報告を掲載しています。本年度は 33号を発行予定です。

一般向けのプログラムとしては、学術講演会を年1回開催しております。学術講演会は本学の最も歴史的に伝統のある講演会のひとつで、1962年に第1回を実施して以来、実に50年以上にわたり、わが国を代表する学者を迎えて開催しており、国の内外から高い評価を得ています。本年度は第56回目となります。

21世紀という新しい世紀を迎え、世界は諸国民の相互理解と協調の時代、いわゆるグローバリゼーションの時代に入りつつあります。そこでは各民族・国家の歴史や文化、とりわけその背景としての宗教の理解が不可欠となってくるでしょう。キリスト教文化研究所は建学の精神を堅持しつつ、それらの時代の要請に応えるべく努めてまいります。」

 なお、東北学院大学は、わたくし個人にとっても関わりのある大学であり、それだけに不思議な繋がりを感じさせられることがある。母方の 曾祖父である田口泰輔は東北学院大学の初期に設置されていた神学部(後に廃止され、日本神学校と合同)の教授であり、中等部長であった。 泰輔 の長男であり、先日逝去した田口誠一(わたくしの伯父)は、東北学院の第8代院長である。そのほかに、さまざまな関わりが存在するのが東北学院大学である。

回勅「ラウダート・シ」について

 教皇フランシスコの回勅「ラウダート・シ」(2015年)は、第二バチカン公会議以降の、カトリック教会の神学動向の中で、重要な位置を占めており、すでに多くの議論がなされている。基本的には、環境神学との連関が強いわけであるが、原発問題にも及びうる射程をもち(カトリック中央協議会 『今こそ原発の廃止を 日本のカトリック教会の問いかけ』 2016年)、そのメッセージはかなり強力である。
 特徴は、伝統的な自然理解(聖書、そしてなんと言ってもフランチェスコ)を背景に、現代世界の対する洞察と関心とが結び付いたメッセージにある。総合的エコロジーという議論は、ディープ・エコロジーとソーシャル・エコロジーとの総合という点から興味深く、未来の世代への倫理的責任は、宗教を越えたメッセージとなっている。
 キリスト教は古代から現代に至るまで、福音と世界・現実(世俗的)との総合・相関の営みを行い続けてきたが、回勅「ラウダート・シ」はその現代的な形といえる。
 問題は、この回勅の前提の一つとなっている「自然法」的思考方法が、現代の問題状況においてなおも妥当か、妥当とすればそれは具体的にいかに展開可能か、という点にあるように思われる。

 なお、以上の回勅「ラウダート・シ」についてのコメントは、次の二つの訳によるものであり、特に詳細な分析を行ったというわけではない。コメント・感想のレベルのものである。しかし、いずれより本格的な議論を行う機会があるかもしれない。

・Pope Francis,
LAUDATO SI' On Care for our common Home.
Encyclical Letter. Includes Discussion Questions
,
Our Sunday Visitor Publishing Division, 2015.

・教皇フランシスコ
『回勅 ラウダート・シ ともに暮らす家を大切に』
カトリック中央協議会、2016年。

宗教改革をめぐって

 10月になり、宗教改革500周年にちなんだ企画が目立つようになりました。すでに紹介したように、日本基督教学会でも宗教改革に関わるテーマのもので学術大会が開催されました。しかし、宗教改革は、キリスト教世界内部の出来事にとどまらず、世界史的な視野で問題とされるべきものです。したがって、キリスト教関係以外の場でも、さまざままに取り上げられることになります(今年の京都とユダヤ思想学会の学術大会もこうした企画でしょうか)。今回紹介するのは、雑誌での企画です。

『思想』 10. 2017. no.1122.
岩波書店。

宗教改革500年──社会史の視点から──
・森田安一 「思想の言葉 史上最初の情報革命──ルター宗教改革五〇〇年を振り返って──」
・岩倉依子 「ルターの教育論と一六世紀ドイツの教育改革──信仰と政治のはざまで──」
・野々瀬浩司 「宗教改革と都市共同体──ベルント・メラー説をめぐって──」
・渡邊伸 「全体に関わることは全体で決めるべきだ──公会議問題から見たドイツ宗教改革の展開──」
・ユーグ・ドシー 「フランス王国におけるエリートと宗教改革──一五五〇年─一五七〇年──」
・冨田理恵 「万人司祭の原理とスコットランド近世史──水平と垂直の聖餐式──」
・早川朝子 「宗教改革と医学の「近代化」──解剖学を中心に──」
・村上みか 「〈名著再考〉 ルター『キリスト者の自由』」

 キリスト教関連の雑誌以外による、宗教改革の企画として興味深い内容である。意識されているのは、思想史研究一般で問題になる「社会史」の方法論的な問題であり、たとえば、野々瀬論文は、次のように締めくくられている。

「「社会史とは何か」という問題に対して、明瞭な回答が見いだせない現在の状況の中で、メラーの研究は、その原点に回帰して本来的意義を再確認するための重要な視点を提供してくれるのである。」
 
 たしかに、宗教改革へアプローチする中で、社会史という方法論の意義を問い直すというのは、重要な作業かもしれない。

ブリューゲルとキリスト教

 本日から、日本基督教学会学術大会が始まる。それについては、明日以降、紹介するとして、今回は、次の話題。

 現在、大阪の国立国際美術館では、ブリューゲル「バベルの塔」展が開催中であり(東京の続いて)、ブリューゲルあるいはバベルの塔への関心も一定の高まりを見せているように思います。バベルの塔はもちろん、ブリューゲルも、キリスト教との関係(宗教改革期!)でも興味深い画家であり、わたくしも、少なからぬ関心をもってきました。実際、9月にはこのテーマで講義を行う機会がありました。
 ブリューゲルについては、さまざまな参考文献がありますが、読みやすい入手しやすいものとして、内容的にも、次の文献などからブリューゲルの世界に入るのはいかがでしょうか。

中野孝次
『ブリューゲルへの旅』
文春文庫、2004年。

1 闇
2 狩人
3 狂女
4 予感
5 麦刈り
6 室内
7 自然
8 民家
9 現実
10 醜
11 手
12 乾草の季節
13 いざり
14 夏
15 傲慢(ヒュブリス)
16 イカルス
17 絞首台にかささぎのいる風景
18 浮きつつ遠く

河出文庫版「あとがき」
文春文庫版「あとがき」

「5 麦刈り」から。
「絵画芸術は現実のあるがままの人間の生を正しく描けさえすればすれでいいのだ、絵の価値をきめるのはそこに描かれたものの真実性だ、それは描かれたものが決めるだろう、愚かな者も、醜い者も、ずるい者も、狂った女も、存在はすべてあるがままに全肯定されているではないか、。それを正しく描き出す以外に芸術の用はない、と。事実ブリューゲルは、こういう農民の姿やいざりや乞食や盲人を世界の中心に据えて、それらの生の諸相をこそ描いたけれども、それ以外にいわゆる美のための美を追求する絵など一枚も描かなかった。」(65-66)

 もちろん、画家が描く現実は、構成されたものであり生の現実そのものではない。むしろ、それは、いわば生きられた現実・共感的に捉えられた現実である。しかも、それは理念の形象化でもない。素朴実在論と観念論(非実在論)とに対する第二度の実在論が問題になっている。

 なお、最近話題の「バベルの塔」は、「15 傲慢(ヒュブリス)」で取り上げられている。「バベルの塔」は、旧約聖書のテキストと宗教改革の時代(罪責性の時代)とを重ね、それを現代へと延長するとき、そのリアリティーを発揮するように思われる。

キリスト教関係研究所4

 NCC宗教研究所 は、大学付属の研究所ではありませんが、わたくしが所属している「アジア・キリスト教・多元性」研究会が、現在、研究会の会場として使用させていただいており、直接間接に関係の深い研究所です。
 また、わたくしの担当している、京都大学キリスト教学研究室自体が、この研究所とは長い関わりがあり、現在研究所長の宮荘哲夫さんは、キリスト教学研究室の先輩であり、研究所の中心をになっている、土井健司さん、岩野祐介さんも、いずれも、キリスト教学研究室の出身者です。

 NCCのHPでは、次のように紹介されています。

「NCC宗教研究所は、(1)日本の諸宗教の研究と、(2)諸宗教の人々との間の対話と相互理解の促進とを通して、福音の宣教に仕えることを目的として設立されています。

 研究所の主要な仕事は、泊まりこみのゼミナール、いろいろな研究会の開催と、英語と日本語の雑誌の出版です。ゼミナールは、毎年一つの宗教・宗派をえらんで、その本山あるいは本山に準ずる重要な施設に泊まります。そして、講演・講義を聞くだけでなく、その宗教の儀礼なども見学します。また年によっては「若者の問題」とか「葬式・先祖供養の問題」というようなテーマで学ぶこともあります。日本語と英語の二種類があり、後者は日本に来ている宣教師を主たる対象にしています。

 研究会としては、仏教のテキストを一年間連続して学ぶ「仏典研究会」をはじめ、「祖先崇拝研究会」「教会と国家研究会」「宗教の神学研究会」などをもっています。99年度からは、東京にある富坂キリスト教センターと共同で、「新宗教運動研究会」をはじめることにしました。

 そのほかに、時々、諸宗教の方々に集まっていただいて研究集会をもつようにしています。今年の3月には、脳死・臓器移植問題で、アメリカのウイリアム・ラフレール教授を招いて開催しました。講演を聞くとともに、各宗教でどのように考えているか、率直な話し合いをしました。(この記録が小冊子になっていますので御活用下さい。一冊800円)

 雑誌は、「出会い」と Japanese Religions の二種類を発行しています。「出会い」は1966年の創刊で、日本のキリスト教界に諸宗教の情報を提供することと、他宗教についての問題意識の喚起をめざしています。英語の Japanese Religions は1959年の創刊で、日本宗教についての研究誌であるとともに、日本の宗教事情を世界に発信する役目をもっています。(ともに年2回発行)

 海外からの研修生の指導も、宗教研究所の大切なつとめです。諸宗教併存の中でのキリスト教ということで、海外諸教会の日本への関心は高く、毎年現職牧師や神学生らを研修生としてうけいれています。

 日本には、他宗教研究をめざすキリスト教の研究所が、当研究所のほかに三つあります。(南山、オリエンス、上智)年に二回連絡会をもち、研究発表、情報交換をして、協力をすすめるようにしています。また東アジアの各地にある同種の研究機関とも、二・三年に一度連絡集会をもつようにしています。」

 この研究所には、キリスト教関係の書籍や雑誌がかなり集められており、専門の研究員をおいて、研究で活用できれば有益と思いますが、なかなか難しいようです(財政的な問題でしょう)。
プロフィール

LogosOffice

Author:LogosOffice
 これまで本ブログは、2013年度より2015年度まで科学研究費の交付(代表者・芦名定道)を受けて行われた研究を中心に、キリスト教思想研究に関わる情報を発信してきました。しかし、2016年度からの新しい研究プロジェクトに関連した事柄は、主に別のブログで取り扱うことにし、本ブログでは、これ以外の記事について継続的に内容を更新します(新しい科研に関するものも、記事の継続性の観点から一部はこちらでも扱います)。
 なお、本ブログにもしばしばコメントが寄せられますが、多忙のため、原則として応答その他の取り扱いはいたしません。

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