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中世哲学研究30

 前回は、アビラのテレサ(テレジア)を取り上げたが、同じカルメル会で、中世から近世にかけての代表的人物と言えば、十字架のヨハネが挙げられるだろう。ヨハネの方がテレサよりも年少であるが、同時代人であり、二人は出会っている。
 まず、十字架のヨハネの言葉(翻訳)が読めるものとして、手元にあるのは、次のもの。

・十字架の聖ヨハネ
『霊の賛歌』
ドン・ボスコ社、1963年(2008年)。

緒言(東京男子跣足カルメル会院長)に続いて。

はしがき(ヨハネ)
霊魂と天の花むことの間にかわされる歌
概要
注解

「第一の歌」から「第四十の歌」まで
霊魂と天の花むことの間にかわされる歌

・カルメル修道会・編
『愛への道──十字架の聖ヨハネの生涯と教え』
聖母文庫、1991年(2005年)。

『カルネル山登攀』『暗夜』『霊の賛歌』からの抜粋と小伝記、手紙が収録されている。また索引が付されている。

 また、日本における十字架のヨハネの研究と言えば、次の文献が、第一に挙げられねばならないだろう。

・鶴岡賀雄
『十字架のヨハネ研究』
創文社、2000年。

序文
略記号表

第Ⅰ部 序論
  一 生涯と時代
  二 作品
  三 思想の源泉
  四 方法と視点

第Ⅱ部 道程
  一 神への翻案/人への翻案──『ロマンセ』の位置
  二 愛にみちた──『カルメル山登攀』における否定神学とそれを破るもの(1)
  三 見ることと触れること──『カルメル山登攀』における否定神学とそれを破るもの(2)
  四 夜の構造──『カルメル山登攀』・『暗夜』の根本イメージ
  五 魂の受動性──『暗夜』の根本問題

第Ⅲ部 合一
  一 合一を語る言葉──『愛の生ける炎』における神秘的合一のイメージ(1)
  二 魂の中心/神の中心──『愛の生ける炎』における神秘的合一のイメージ(2)
  三 甘美な接触──『愛の生ける炎』における神秘的合一のイメージ(3)
  四 神のかげ──『愛の生ける炎』における神秘的合一のイメージ(4)
  五 私の胸で恋人は目覚める ──『愛の生ける炎』における神秘的合一のイメージ(5)
  六 合一の人称──『霊の讃歌』における神秘的合一把握

あとがき
人名索引
英文目次

中世哲学研究29

 中世(ル=ゴフ的には長い中世)の修道制は、あまりにも巨大なテーマであり、ここで取り上げうるものは、そのほんの一端に過ぎない。しかも、多くは二次的文献や翻訳である。また中世の修道制は(そもそも修道制は)、神秘主義、神秘体験と重なり合っており、それは哲学思想とも関連することになる。

 今回紹介するのは、中世から近世への移行期、宗教改革と対抗宗教改革に時代を生きたアビラのテレサであるが、テレサは、人々の霊益のために祈りについての本を書いて欲しいとのグラシアン師の要請に対して、はじめは、この要請に対して、次のような理由で断った(以下紹介の文献の冒頭に掲載の、監修者・鈴木宣明による紹介文、による)。

「何故、私が書かねばならないか。それは神学者たちの務めである。彼らはこれらにことについて研究している。また、これらの諸テーマについて取り扱っている、多くの本がある。私はまったくふさわしくない。」

 修道制の中での瞑想・思索は、それ自体がそのまま哲学や神学となるわけではない。しかし、両者の関係は決定的に重要である。テレサは、最終的には、トレド大司教座教会主任司祭ベラスケスがグラシアンの要請を支持したので、祈りについての本の執筆を引き受けた。それが、今回紹介する文献であり、恩恵の状態にある人間の霊魂を栄光の城のイメージにもとづいている。この霊魂の城には7つの住いが存在し、栄光の主が住う第七の住いをほかの六つの住いが包んでいる。

アビラのテレサ
『霊魂の城──神の住い』
聖母文庫、1992年。

「アビラの聖女テレサの『霊魂の城──神の住い』に寄せて 「例に生きる人々の母」─アビラの聖女テレサ」
 (鈴木宣明)

第一の住い
第二の住い
第三の住い
第四の住い
第五の住い
第六の住い
第七の住い
むすび

『霊魂の城──神の住い』における聖女テレサの中心的な幾つかの言葉
聖女テレサの生涯
聖女テレサの刷新修道院創立

訳者あとがき (高橋テレサ)

 なお、霊魂の城と祈りとの関係は、次のように述べられている。
「私が理解しうる限りにおいては、この城に入るための門は祈りと黙想です。」(39)

中世哲学研究28

 フィオーレのヨアキムについては、先の記事で、ティリッヒとの関わりを指摘した。この点については、以前に、小原さんとの共著で出版した、『キリスト教と現代──終末思想の歴史的展望』(現代思想社、2001年)の第三章で、簡単に論じたことがある(こうした一般向けの著作では、通常の専門研究では扱えない(専門家ではないし専門研究を十分に踏まえているわけでもないため)テーマについて、やや自由に論じることができ、それが、後々に役立つことがある)。
 こうした経緯から、ヨアキムについては、いずれ本格的な研究を行いたいと考えた時期もあり、研究文献も若干は集めることができた。そうした中に、わたくしの蔵書には、古書というにふさわしいヨアキム関係の著作が存在する。

Joachim di Fiore,
Vaticinia sive Prophetiae, (神託あるいは予言)
Zentralantiquariat der deoutischen Demokratischen Pepublik, Leipzig, 1972.

Unveränderter fotomechanischer Nachdruck der Originalausgabe 1589、と説明されている。

アガンベン・メモ(a33)

7・4
 ここで、使用、道具の問題と、神学との関わりが明確になる。それは、サクラメントの理解であるが、道具の「二つの活動性」の問題は、神と自然法則との関係性にも関わっており、その射程はきわめて大きい。

「スコラ神学が道具因の理論を展開している場所は、秘跡の学説である。」「『神学大全』」「秘跡の役割は恩寵を授与することであって、これは恩寵の主要な原因である神からしか生じえない。しかしながら、秘跡本来の務めは、それが道具的な原因として作用する要素(たとえば洗礼のさいの水)をつうじてその効果を産み出すことである。」

「トマス」「道具の二つの活動を定義」
「道具には二つの活動がある。ひとつは、道具が自分の力によってではなく、主たる行為者の力によって活動する、道具的な活動である。もうひとつは、自分の形相にしたがってそれに属する、自分本来の活動である。・・・身体にかかわる秘跡は、それらが触れる身体に及ぼす自分の働きをつうじて、魂への道具的な働きを神の力によって実現する。」

「ディスポシティーオー(dispositio)はギリシア語のオイコノミア(oikonomia)のラテン語訳であって、神がみずから三位一体的に分節することをつうじて人間の救済のために世界を統治する様式を指している。」
「配備的な働き」「みずからの内的な法則にしたがいながら、それを超越しているようにみえて実際にはそれに内在している計画を実現する働き」「救済のオイコノミア」
「秘跡のなかで主要な原因として活動するキリストも、受肉しているかぎりは、救済の道具的な原因であって主要な原因ではないのだ。道具性の神学的パラダイムといったものが存在するのであって、三位一体的オイコノミアと秘跡の理論はその卓越した場所なのである。」

ダンテの場合。

主要な原因としての神と道具的な原因としての自然法則。神の予定と人間の自由意志。こうした難問への回答の一つの形がここにある。

宗教多元性という問題

 宗教的多元性をめぐる議論は、比較的最近のものともいえるが、日本などでは、問題としては古くから存在していたものである。こうした問いに取り組んでいた研究者も決して少なくない。今回紹介するのは、その一人である。

花岡栄子
『キリスト教と仏教をめぐって──根源的いのちの現成として「禅」』
ノンブル社、2010年。

まえがき
凡例

第Ⅰ部 キリスト教と仏教に通底する「禅」 
 第一章 「根源的いのち」の現成としての「禅」
 第二章 実体的思考と非実体的思考
       ──S・キェルケゴールと西田幾多郎の哲学を通して
 第三章 キリスト教と仏教における「絶対の無限の開け」
 第四章 キリスト教と仏教における悪の問題──自覚を介して
 第五章 宗教哲学における「信」と「覚」    
      ──西田幾多郎とA・N・ホワイトベッドの哲学を介して
 第六章 禅とキリスト教──西田・大拙・久松・西谷の場合
 第七章 鈴木大拙先生における「人」
 第八章 自覚(self-awareness)と感じ(feeling)の問題
       ──西田幾多郎とA・N・ホワイトベッドの哲学を介して
 第九章 国際的視野から見た「和」
       ──キリスト教の立場から

第Ⅱ部 わが心の遍歴
 第一章 異文化との出会い
 第二章 日本文化への目覚め
 第三章 キリスト教と仏教
 第四章 参禅(FAS禅と伝統禅)
 第五章 宗教と現代の臓器移植の問題について
 第六章 宗教と現代の臓器移植の問題
 第七章 現代における宗教と科学・技術の問題
 第八章 キリスト教と仏教について
 第九章 現代における宗教と哲学の問題

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Author:LogosOffice
 これまで本ブログは、2013年度より2015年度まで科学研究費の交付(代表者・芦名定道)を受けて行われた研究を中心に、キリスト教思想研究に関わる情報を発信してきました。しかし、内容的にこの科研のテーマ(「自然神学・環境・経済」)に限定されない諸問題を扱うことが多くなったため、本ブログのタイトルと趣旨を変更したいと考えました。新しいタイトルは「自然神学・宗教哲学・自然哲学」となります。もちろん、これまで同様にさまざまな問題を取り上げます。
 なお、本ブログにもしばしばコメントが寄せられますが、多忙のため、原則として応答その他の取り扱いはいたしません。

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