『福音と世界』より(12月号後半)

昨日は『福音と世界』 (2017.12)の前半の紹介で終わりましたので、本日は、残りの部分を紹介します。

 まず、わたくしが担当の連載。
 わたくしが担当の連載 「現代神学の冒険──新しい海図を求めて」 は、今回が15回目。「解放の神学」系の4番目のテーマとして、アフリカ神学を取り上げました。おそらく、日本でアフリカ神学が取り上げられることは決して多くないと思いますが、以前から、一度、アフリカ神学をまとめて論じてみたいと考えていましたので、今回は、それが実現したということになります。もちろん、本格的なアフリカ神学との取り組みは今後の課題ですが、「解放の神学」系という連関でのアフリカ神学の特徴については、ある程度、論じることができたと考えています。ポイントは、東アジア神学との類似性と相違ということになるでしょう。
 21世紀はキリスト教についても、おそらくアフリカの世紀と言うべき状況が顕在化すると予想されますので、アフリカのキリスト教会と神学にはそれにふさわしい関心が払われるべきです。
 
締めくくりは、次の連載です。
・内田樹 「レヴィナスの時間論」:「『時間と他者』を読む33」
 今回のポイントは、前回から登場したレヴィナスの「世界による救済:糧」の問題です。

 前回の最後にたどり着いた議論、「享受が私たちと糧との関係である」から議論が始まります。まずは、道具との違いが再度論じられ、続いて、享受の両義性、つまり、「吸収でありかつ遠ざかり」という点について、説明がなされる。
 遠ざかりとは、享受には、ある種の知が帰属していること、つまり享受の対象を光の内で認識することを意味している。

 次に、問題になるのは、「位相転移」という言語学用語の説明へ。動詞が名詞に転換すること。特に問題になるのは、「実存する」が「実存者」に展開すること、この両者の結びつきであり、レヴィナスの課題が、この両者の結びつきをいかにして解きほぐすのかという点に関わることを示された。これは、「位相転換」(純粋にして単純な自己同一性、主体はひたすら自己に回帰する)と「世界のうち」の対比として展開される。
 「位相転換」:実存者には外部がなく他者がいない、絶対的な孤独のうちにある。
質料性、自己成就
「世界のうち」:「主体はおのれ自身から切り離される」。「自分が自分自身であるという、最も根源的で、最も仮借ない繋縛を断ち切りたいという欲求」は「世界のうちで」満たされる。
日常生活と光とが「おのれ」と「私」の間の「結びつき」を解除する条件を構成する。
 この意味については、レヴィナスがシンプルな答えを提示していないと、筆者がここで、指摘する。

 続いて、おのれ自身から切り離されるための条件である「光」「光の外在性」だけでは、切り離しには不十分である点が、説明される。
 「光はたしかに私が「私ならざるもの」と出会うための条件である」が、それだけでは、対象が「私ならざるもの」であることは哲学的に根拠づけられない。
 「私たちが光のうちで見出すものの多くは私たちがそこに(あらかじめ、無意識のうちに)置いておいたものである」。「主体と無関係にあたりを照らし出す絶対的な理性の光などというものは存在しない」。
 「光のうちで私たちが見出すものは、質料性によって、つまり私がおのれ自身に鎖で繋がれているという原事実によって、その異邦性・外部性をすでに損なわれているのである。」

 ブーバーならば、ここで「永遠の汝」に言及するだろう。ブーバーとレビナスの相違が問われるか。これは、現象学という方法論の問題ではないか。解釈学的な議論を採用すれば、哲学的であっても別の議論が可能かもしれない。

『福音と世界』より(12月号前半)

『福音と世界』 2017. 12(新教出版社)が届きました。 雑誌の刊行は実際の暦より1ヶ月程度早いとはいえ、12月号が届き、1年が経過する早さに気づかされます。この新しい号が届く頃は、ちょうど、次の号の執筆がほぼ完了しつつあることが多いのですが、その意味では、すでに来年1月号の連載を今書いているわけで、時間は水平方向に前方へと絶え間なく進行しているんことが実感されます。もちろん、年末年始の前には、まだまだいろいろな経過すべき事柄が控えていますが。

 今回12月号の特集テーマは「ポピュリズム・デモクラシー・キリスト教」です。現代の世界的な政治状況との関わりでキリスト教を論じようとすれば、当然テーマ化されるべきものと言えるでしょう。もっとも、「ポピュリズム」とはなかなか手強いテーマとも思いますが。ともかくも、こうした議論をキリスト教的神学的な思惟として進めようとすると、「政治神学」へと踏み込むことになり、現在、わたくしが行っている連載とも関わりをもつことになります。政治神学は20世紀後半、1960年代以降に、モルトマンによって再開されたものですが、さらに先を問う必要がありそうです。いつもそうですが、特集には多くの示唆を受ける論考が収録されている。今回もそうですが、最後のインタビューなど。

・「ピープルのいないところにポピュリズムあり?──「健全な病理」としてのポピュリズム」 (酒井隆史)
・「教会の課題としての「ポピュリズム」──現代ドイツを参考に」 (ゾンターク・ミラ)
・「イギリスにおけるポピュリズムと宗教──EU離脱をめぐるキリスト教的言説」 (原田健二朗)
・「ポピュリズムとアメリカの教会」 (吉松純)
・「アラブの民衆蜂起からカリスマ待望論へ」 (塩尻和子)
・「水島治郎氏に聞く 近代プロテスタント社会原理の「終わりの始まり?」 ポピュリズム時代の政治とキリスト教」

今回は、特集の前に、小特集的な記事が掲載されています。
《尹東柱 生誕一〇〇年を覚えて》
・「詩人尹東柱と私の「祈り」」 (梁賢惠)
・「尹東柱生誕一〇〇年によせて」 (香山洋人)

 次に、連載です。
・「福音の地下水脈(アンダーグラウンド)」:
 第2回 中村うさぎ(後編)「正しくない人にも居場所がある社会に」
 「パロディーによる反撃」「一番の敵は「正義」」「あやうい「救世主」」

・高井ヘラー由紀「はじめての台湾キリスト教史(9)」:「「自治」を希求した台湾人キリスト教徒」
「「抗日/反日」という立ち位置は、それ以外の価値によって容易に規定されたり治癒されたりする政治的ツールであることがわかる。」
「台湾長老教会が戦後に至るまでその言語文化的愛ティンティティを保持することができたのは、一義的に西洋宣教師の功労のゆえである。」「現地信徒による西洋宣教師批判がより顕著だった朝鮮半島でも、・・・」
「集合的「台湾人キリスト教徒」あるいは「台湾教会」として自給独立という共通の方向を目指すようになるまでには、相当の時間がかかっただろう。」
「台湾教会の「自伝・自治・自養」への努力は、いとまず台湾人キリスト教徒と西洋宣教師の協同作業として理解されるべきであろう。」「西洋宣教師から台湾人キリスト教徒への移行がもっとも難しかったのは、「自治」すなわち教会寄稿の管理権である。」
「台湾人青年キリスト教徒による「自治組織」としての「YMCA」設立を目指したのである。」「残念ながら」「日本人YMCAから独立したかたちで正式に認知されることは戦前を通してなかった。」
「台湾人キリスト教徒」「日本統治当局」「西洋宣教師」。「この三者をめぐる力学」

 本日は、京都大学吉田事業場における過半数代表者選挙などがはいっているため、12月号の紹介は、前半にとどめ、残りは後日行いたい(明日?)。
 

キリスト新聞より

KiriShin(The Kirisuto Shmbun, キリスト新聞、第3458、Nov 11. 2017) が届きました。京都は紅葉の季節を迎え、特に紅葉の名所でなくとも、十分に美しい紅葉が楽しめます。大学の周辺あるいキャンパス内自体が、美しい秋を迎えています(本日は、あいにくの冷たい雨ですが)。これから、学園祭を経て、年末に向かいますが、講演会やシンポジウムなどの催しが密集しており、多くがかち合うことが悩みの種です。

<第01面>
・「『聖書 新改訳2017』」「全体約3万節の9割以上を変更 〝原典に二忠実な訳〟に」
 初版から47年。2003年の第3版いらいの全面改訂。

 第一面はその号の中心テーマあるいは中心的なニュースの提示と関連の写真によって構成されます。
 
<第02面>
「信仰義認、神への「恐れ」強調」「宗教改革500年 プロテスタントの伝統に従って」
 10月11日に、お茶の水クリスチャンセンターで発表会における、翻訳編集委員による改訂の意義、変更点、特徴などの解説を、収録。
 「独自性、特異性について」「名称について」「今回の訳で強調されたこと」「翻訳工程」

 聖書翻訳は、反復される。したがって、改訂が必要ないという意味での完成訳は存在しない。読者の変化が、新しい訳を要求し、現代日本では、10年から20年程度に一度の頻度で改訂がなされる傾向である。
 聖書学的には、「原典」に正確な・忠実なが、重要な基準になるわけだが、宗教としてのキリスト教にとって、原典が正典ではないことをよく考えるべきも思われる。神学的には、そして宗教学的にも、正典概念をよく反省すべきだろう。

<第03面>
「News/ニュース」「Topics/トピックス」:
・教会:「功労者に深町正信氏・佐竹順子氏 日本キリスト教文化協会が顕彰」
・神学:「教義学が背景にある「霊性」 ルター学会が宗教改革500年記念大会」
・社会:「「難民支援はキリスト者の使命」 タンザニアの難民救済組織が来日」
・声明:「「靖国への真榊奉納は憲法違反」 首相らに対する抗議声明相次ぐ」
・声明:「高江の米軍ヘリ事故を受け 日基教団西中国教区が抗議」
・募集:「川崎・オスロ・被爆者キャンペーン実行委員会」
・海外:「米テキサス州の教会で銃乱射 礼拝中に27人死亡」

<第04面>
・「宗教リテラシー向上委員会」:「近代と宗教が機能するために」 波勢邦生 「キリスト新聞」関西分室 研究員
 「情報とテクノロジー」「「宗教」がいかに時代に向き合っているのか」
 「「宗教と近代の相克、調和」という主題」 
  「多くの人にとって「西洋近代自我」は重過ぎないか」
  「現実的には、誰にとっても近代的システムと宗教的ケアの両方が必要だ。最良の意味で近代と宗教が機能するには、互いが批判的かつ建設的な関係を保つ必要がある。」

 近代的システムと宗教的ケアということで、サリー・マクファイグの論じた、権利の倫理とケアの倫理の関わり、環境・自然との関係性はケアの倫理を必要とするという議論を思い出した(今年のわたくしの講義のテーマでもある)。

・「縦断列島 書店員日記」: 「ひと足先にクリスマス」 加川昌宏(教文館 東京)、次号はCLCブックスお茶の水店(東京)

<第05面>
・「置かれた場所は途上国」:
 ネパール 中 「人としての豊かさを感じる時」:加藤奈保美

・「教会建築ぶらり旅」:
 「5 カトリック神田教会 寓意の薫香」 藤本徹

<第06面>
・「伝道宣隊 キョウカイジャー+αアルファ」
 「「困った時の神頼み」にしないために」 総督
 
<第07面>
・SONO「教派擬人化マンガ ピューリたん」54
 「謎の過去」 「そういえば・・・」 

・「Information/インフォメーション」

<第08面>
・「BookReview/書評」
 今回は、徳善義和先生の『ルターと賛美歌』(日本キリスト教団出版局)が取り上げられているが、ここで書評される図書は、どのようにして選ばれているのだろうか。素朴な疑問。

・「TV/Radio」(テレビ・ラジオ)

聖書物語・異聞あるいは外伝

 先日、不思議な本をいただきました。聖書物語の外伝といってよいでしょうか。
 著者は、古い知人ですが、私家本であり、著者の名前は出さない方がよいように思いましたので、以下、Kさんと呼ぶことにします。

Kさん
THE BOOK の誕生』
2017年。

 第1章から第8章まで、章立てにはなっていますが、タイトルはありません。

 内容の説明は、表表紙と裏表紙に書かれています。

・融通無碍の旧約聖書編纂記
 この物語は、旧約聖書の成立の萌芽期に関する無限の想定の一つとして書かれたフィクションである。可能な限り各書に触れ、旧約聖書を概観する。(本文最後には、付記として、「聖書に出てくる用語の日本語訳は、概ね日本聖書協会刊行よる口語訳聖書に拠っています」とある。また、本文には、頁の下段を区切る仕方で、関連聖書の箇所が示されている。)
・「バビロン軍が迫るエルサレム神殿の地下室で、命拾いをした少年アビエルとメラリは、そこに夥しい数の巻物があるのを目にする。神殿喪失という苦難の中、やがて二人は祭司アビメレクの指導のもと、イスラエル民族の書の編纂に取り掛かる…。この物語は「書く」という営みの中で様々な疑問にぶつかりながら、悩みつつ捕囚期を懸命に生きる二人の若者の成長の物語である。」

 本書の言う「THE BOOK」は、「聖書」のことであり、本書は、まさに旧約聖書の編纂物語異聞という内容になります。神殿からの巻物発見という伝承、マナセ王時代のヤハウェ宗教の復興の試み(「原申命記」の形成)からヨシア改革(この時期に改修中の神殿より「律法の書」発見されたと言われる)へ、そして捕囚期の申命記史書の成立、預言書の編集、捕囚期後の神殿再建とネヘミア改革へと至る、旧約聖書の編纂の歴史。
 この歴史を二人の若者を焦点に描いたのが本書ですが、そこには聖書に親しむ著者の優しい眼差しが感じられます。

宗教改革の記憶と忘却をめぐって

 今年は、宗教改革五500周年ということで、世界的にはもちろん、日本でもさまざまな企画が、それぞれの工夫を凝らして行われました。あるいは、これからの企画もあるかもしれません。
 宗教改革は、さまざまな視点から論じうる、解明を要する出来事ですが、歴史的な視点は、当然、重要なものとなります。しかも、歴史には、これまでの歴史研究で十分に取り上げられなかった、いわば忘却あるいは抑圧されてきた事柄も含まれており、それを掘り起こす「考古学的な」作業も必要になります。
 先日、次の論集をお送りいただきました。紹介します。

踊共二編著
『記憶と忘却のドイツ宗教改革──語りなおす1517-2017』
ミネルヴァ書房、2017年。

序章 記憶と忘却の五〇〇年 (踊共二)

第Ⅰ部 語りなおす宗教改革
 第1章 マルティン・ルターの宗教改革──実像と虚像 (加藤喜之)
 第2章 カトリック世界としての一六世紀ドイツ──信仰と行い (猪刈由紀)
 第3章 三つのプロテスタント──ルター派・西南ドイツ派・スイス改革派 (岩倉依子)
 第4章 宗教改革の磁場──都市と農村 (渡邊伸)
 第5章 宗教改革はイタリアに伝わったか──ルターとアルプス以南の世界 (高津美和)
 第6章 カルヴァン以前のフランス宗教改革 (深沢克己)

第Ⅱ部 変化するキリスト教世界
 第7章 一六一七年のドイツ──宗教改革から一〇〇年 (高津秀之)
 第8章 対抗宗教改革──イエズス会劇が映すもの (大場はるか)
 第9章 魔女迫害と「神罰」──プロテスタントとカトリック (小林繁子)
第10章 神聖ローマ帝国の多宗派派と三十年戦争──「神の帝国」と共存の政治学 (皆川卓)
第11章 フッガー家の人々──二宗派併存都市に生きて (栂香央里)
第12章 宗教改革急進派──記憶の回復と二一世紀の和解 (踊共二)

附論 日本のドイツ宗教改革史研究──過去・現在・未来 (森田安一)

あとがき
人名・事項索引

 テーマの設定にも、この半世紀の歴史研究の進展がうかがわれる。これまでの人物や教派などを中心とした歴史叙述とはひと味違う。
プロフィール

LogosOffice

Author:LogosOffice
 これまで本ブログは、2013年度より2015年度まで科学研究費の交付(代表者・芦名定道)を受けて行われた研究を中心に、キリスト教思想研究に関わる情報を発信してきました。しかし、2016年度からの新しい研究プロジェクトに関連した事柄は、主に別のブログで取り扱うことにし、本ブログでは、これ以外の記事について継続的に内容を更新します(新しい科研に関するものも、記事の継続性の観点から一部はこちらでも扱います)。
 なお、本ブログにもしばしばコメントが寄せられますが、多忙のため、原則として応答その他の取り扱いはいたしません。

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