キリスト新聞から

キリスト新聞 (第3442、2017. 5. 27) が届きました。今週は先週よりはましなスケジュールと思ってましたが、会議や研究会と、どんどん、空き時間に予定が入ってしましました。先ほどは、昨日届いた、書評原稿を校正しました。

<第一面>
・「24年ぶりの展示 『バベルの塔』の時代と魅力」「寄稿 真下弥生(ルーテル学院大学・東京神学大学非常勤講師)」
 「見る者の想像力を解放する描写」「宗教改革前後の閉塞感と混乱も」
 「上野の東京都美術館で7月2日まで開催中の「ボイマンス美術館所蔵 ブリューゲルの『バベルの塔』展」。

 ともかく有名な作品であるが、6月から7月初旬は、2回東京出張が予定されているので、その機会に見ることはできないこともないだろう。24年ぶりでもあるし。

「Headline/ヘッドライン」:
・「教皇がファティマで2人を列聖」
・「イスラム教国インドネシアで 世界最大のキリスト像建設計画」
・「ラオスとベトナムで宗教移動者ら WCRP/RfP日本委の招待で交流」
・「日基教団京都南部地区社会部 「共謀罪」法案廃案求め緊急声明」

<第二面>
「Topics/トピックス」:
・「社会」:「抵抗権を思想とする精神鍛えよ」「渡辺信夫が長老教会社会委の学習会で講演」
 「信仰に基づく抵抗権」と題して、5月6日、日本長老教会社会委員主催のヤスクニ学習会。お茶の水クリスチャンセンターにて。

・「社会」:「原発廃止はエキュメニカルな課題」「日本キリスト教連合会総会に光延一郎氏」
 5月9日、日本聖公会牛込聖公会バルナバ教会で、「原発のない世界を求めて、キリスト者として考えるために──『今こそ原発廃止を』カトリック教会の問いかけから」と題し講演。

・「教会」:「教派超え「発信」のあり方問い直す」「教会的「宣教会議」セミナー2017」
 「発信」のあり方を問い直そうという研修会「教会的『宣教会議』セミナー2017」が、5月3日、ウェスレアン・ホーリネス教団浅草橋教会で開催。「視点を変えれば伝え方が変わる」という総主題のもと、松谷信司、丸山泰地の両氏が登壇。

・「社会」:「寺社フェス「向源」に牧師も参加」「〝仏教でも同じテーマ追う僧侶が〟」
 日本の伝統文化を体験できる寺社フェスティバル「向源」が5月6日、7日に、中目黒の正覚寺で開催。スタッフとして参加の伊藤大輔さんは、「牧師と話そう」にも出演。

「Satellite/サテライト」:
・「持続可能な社会の構築目指し「環境セミナー」始まる」
・「WCRP日本委が京都で「ヒバクシャ国際署名」」
・「「アンネ・フランク展」今治市の教会で遺品展示」
・「「アンネの形見のバラ」 西宮市の教会で花開く」
・「五島市がプロモ動画 ドローン使って撮影」
・教育「関西聖書神学校入学式 鎌野直人新校長が説教」

<第三面>
「終活:なんでも相談室Q&A」
Q:「「喪主」になる資格は誰に?」
A:「厳密な決まりや法的縛りはない。」
 今回のお相手:一ノ瀬健太さん(株式会社ライフワークス社 本社統括マネジャー)

 金銭トラブルを避けるために。

・連載「 『沈黙』への道、 『沈黙』からの道──遠藤文学を読み解く」:金承哲(南山大学)
 「16 『侍』」
 「決断ないまま受洗した遠藤の自画像」

 「遠藤はこの作品の中で、長谷倉のことをいつも「侍」と呼ぶ」、「固有名詞を避けて彼を特定の歴史的人物という枠から外すことによって、この「侍」が遠藤自身の自画像でるとのことを表すため」
 「「不純な動機」によって洗礼を受けた侍」「「彼らの受洗に万が一、そのような不純な動機があったとしても、・・・主は彼らを決して見放されはしない。」

 道徳もそうだが、宗教でも、動機は、一つの議論の争点となる。宗教はここで、「にかかわらず」へと踏み出す。

<第四面>
・SONO「教派擬人化マンガ ピューリたん」46
 「アプリゲーム化決定」「大事なお知らせ」

 「ペンテコステ(6/4)までに目標額を達成できれば、ピューリたん達にキャラボイスが付く」らしい。

アメリカとキリスト教

 アメリカ合衆国はしばしばキリスト教国とも呼ばれるが、その適否は別にして、アメリカとキリスト教の両者が密接な関わりにあることは否定できない。この問題は、当然、キリスト教研究・アメリカ研究では多くの蓄積があるテーマであり(たとえば、芦名定道「第5章 神話と民族」のブックガイド(芦名定道『宗教学のエッセンス』北樹出版、1993年)を参照)、日本における導入的な文献としては、次のものがまず参照されるべきであろう。

・森考一 『宗教からよむ「アメリカ」』
 講談社選書メチエ、1996年

・栗林輝夫 『現代神学の最前線──「バルト以降」の半世紀を読む』
 新教出版社、2004年。

・宮平望 『現代アメリカ神学思想──平和・人権・環境の理念』
 新教出版社、2004年。

・森本あんり 『アメリカ・キリスト教──理念によって建てられた国の軌跡』
 新教出版社、2006年。
・森本あんり 『反知性主義──アメリカが生んだ「熱病」の正体』
 新潮社、2015年。

 現在の動向も含めて、『福音と世界』に連載中の、吉松純さんの「アメリカの神学と教会のいま」も、おもしろい。
 

Web紹介、再洗礼派研究

 久しぶりのWeb紹介です。研究に関連してはもちろん、そうでなくとも、さまざまなWebでの情報を参考にすることが多くあります。今回は、「ミュンスター再洗礼派研究日誌」です。
 このサイトは、以前に本ブログでも紹介した、『旅する教会──再洗礼派と宗教改革』(新教出版社)の編集者のお一人が作成しているものですが、再洗礼派をはじめ、キリスト教研究に関連して、有益な情報が掲載されています。

 今回、このサイトを紹介しようと思ったのは、「4月26日」の日付の記事として、「日本語の再洗礼派・宗教改革少数派文献リスト」が掲載されたからです。専門の研究者でないと、日本語文献とは言え、こうした情報を集約することはなかなか困難です。

「再洗礼派に関心があり、もっと色々調べてみたいという方のために、日本語で読める再洗礼派関連の文献リストを作ってみました。まだまだ網羅的なリストになっていませんが、これから暇を見て随時追加していこうと思います。

1990年代半ばまでのミュンツァー、カールシュタット、農民戦争、再洗礼派に関する文献については、『宗教改革著作集15 教会規定・年表・地図・参考文献目録』1998年、210-222頁にまとめられているので、こちらも是非ご参照下さい。」

 今年は、宗教改革500周年ということで、さまざまな企画がなされていますが、再洗礼派についても視野を広げてはいかがでしょうか。

日本における組織神学の試みから6

 先日、「日本における組織神学の試みから」の5で、熊野義孝『神学概論』『熊野義孝全集』第四巻、新教出版社)を取り上げたが、熊野に関しては、むしろ、『キリスト教本質論』と題された、『熊野義孝全集』第六巻(新教出版社)に所収の「キリスト教概論」(1947年)を取り上げるべきとも思われるので、そちらも紹介しておきたい。なお、『熊野義孝全集』第六巻(新教出版社)には、「キリスト教本質論」(1949年)が収録されている。こちらも、「熊野神学のキリスト教本質論は、トレルチのキリスト教本質論を課題としてうけとめつつ、弁証法神学によって得られた洞察の上に、それに答えていこうとしたもの」(熊澤義宣による「解説」からの引用)という点で、重要である。

熊野義孝
『神学概論』
1947年(全集版は、1978年)。


第一篇 宗教としてのキリスト教
  第一章 緒論
  第二章 宗教と諸宗教
  第三章 キリスト教の本質について

第二篇 特にキリスト教的なるもの
  第四章 キリストの体
  第五章 権威の所在
  第六章 伝承と教義

第三篇 福音的教会の理念
  第七章 歴史的信仰の意義
  第八章 福音的信仰の立場
  第九章 信仰と道徳
  第十章 信仰告白

 以上の構成は、きわめて興味深いものと言える。これは、近代神学が「おおむね教義学ないし神学一般の解消に赴いたに対して、この書の意図はあたかもその逆に向かう」(3)という序における説明にある構成である。つまり、本書は、宗教・諸宗教からキリスト教へ、そしてプロテスタント教会へという仕方で叙述されており、宗教学的に考えれも、同意できる構成である。わたくしも、キリスト教学概論を長年講義しているが、それは、「現代宗教学からキリスト教思想(史)へ」という順序で行われており、内容は別にして、基本構想において、熊野のキリスト教概論は、納得できるものである。
 この概論の位置づけであるが、熊野が、序で、「教義学ないし神学一般の基礎工事」、「信仰論および教義学と相俟ってキリスト教神学の全体系を形造る。この書はそれの第一部門と見られた差し支えない」(3)と述べるように、すでに本ブログでも紹介も熊野神学の中心をなす「教義学」とこの概論とは、組織神学体系のなか二つの部門と考えてよいであろう。

演習より

 大学における思想系の授業は、講義と演習(講読、ゼミ)というタイプに大別されてきたと言えるが、あえてどちらに中心があるかと言えば、大学院の場合は、明らかに演習にあると言ってよいだろう。もちろん、講義は、授業を提供する側から言えば、準備のためにかなりの時間を必要とし、やりがいがあることは事実であるが、しかし、授業としては、特に授業を受ける学生の側から言えば、演習にこそ、力を注ぐべきものと言わねばならないであろう。研究指導と言えるものは、演習を介して行われる点も演習の重要性を示している。というわけで、演習が充実していないと、今年度は授業がなにか今ひとつといった感覚になる。

 今年度前期も、イントロダクションを経て演習がスタートし、軌道に乗りつつある時期であるが、演習を行って不思議な感覚になるのは、別々に選択していたはずのテキストが相互に結びついていることを発見するときである。現在は、ティリッヒについて、アメリカ亡命期の講義録(ドイツ語)と後期の文献(日本語訳での講読)の二つ、そしてそれに南原繁の文献を加えて、三つのテキストを読んでいる。ティリッヒの二つのテキストは、同じ人物(時期は異なるが)のものであり、結びつきは当然であるが、意外にも多くの接点や類似点が見られるのが、ティリッヒと南原の間である。最近の例で言えば、近世・近代の思想状況、特に人間理解に特徴を論じる際に、ティリッヒと南原はきわめて近い議論をおこなっており、しかも、二人ともストア派に注目していることがわかる。
 よくよく考えれば、両者の諸前提や関心の重なりから判断すれば、それほど驚くべきことではないわけであるが、別々の演習で、ほとんど同じ時期に異なる思想家の類似の思想を実際に目にすると、不思議な感覚が生じてくる。ティリッヒと南原は、両者を本格的に結びつけた仕方での研究が可能ではないか、これが最近の実感である。たとえば、全体主義論などは、アーレントも加えて、ぜひ議論してみたいテーマである。
 演習は、教師の側でも多くの発見があり、そこから新しい研究が展開する現場となるわけである。
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Author:LogosOffice
 これまで本ブログは、2013年度より2015年度まで科学研究費の交付(代表者・芦名定道)を受けて行われた研究を中心に、キリスト教思想研究に関わる情報を発信してきました。しかし、2016年度からの新しい研究プロジェクトに関連した事柄は、今後開設の別のブログで取り扱うことにし、本ブログでは、これ以外の記事について継続的に内容を更新します。
 なお、本ブログにもしばしばコメントが寄せられますが、多忙のため、原則として応答その他の取り扱いはいたしません。

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